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カクテルのグラスをカラカラと回しながら先輩は不機嫌そうに言った。
「で、あんた、何でここに居るのよ。」
「先輩が呼び出したからですよ。」
高校に入った時からこの人には良く振り回されてきたけれど、それが社会人になった後もずっと続いているってのは可愛がられているのか都合よく扱われているのか…。
「あたしに呼び出されたからってねぇ、」
先輩は目にかかった前髪をいつもみたいについと指先で横に流して続ける。
「今日何の日だと思ってんのよ。バレンタインよバレンタイン。セントバレンタインズデイよ。彼女といるのが当たり前でしょう?」
それを言うなら自分はどうだと僕は思った。
「先輩こそ僕じゃなくて彼氏呼べばいいでしょう。」
先輩はくくっと笑うとあーそれねと言った。
「別れた。」
「はい?」
「さっき別れた。振ってやったわあんなの。」
僕はため息を漏らした。
先輩はすごくモテる。背は高いし、顔立ちもいい加減な女優よりもよっぽど整っている。ジムに通うのを日課にしているからスタイルも抜群だ。面倒見がいいくせにさばさばしていて細かいことは大目に見てくれる。
こんなに魅力的な女性なのに恋愛が長続きしたことがない。
「また例の奴ですか。」
「また例の奴よ。そりゃあね?若い頃は結婚まで操を立てるのが美徳だからってスタンスだったわよ。けどね、今はもう少しずるくなってね、つまり自分の都合を取るかあたしの気持ちを取るか、その天秤を相手に握らせてんのよ。」
つまり先輩の彼氏は今日先輩に迫ったのだろう、先輩はそれを拒否して言い合いでもなったのだろう。
「あたしはね、横断歩道を点滅信号で歩き出す奴は信用しないの。そこまで待ったならあと3秒くらい待ちなさいよって事よ。」
先輩の言うことは間違ってはいないけど、今それを納得してくれる男が居るかどうか…。
「やる。」
「ええ?」
「やるって。」
どう考えても彼氏に渡すはずだったプレゼントらしきものを先輩は僕の鼻先に突き付けた。
「本命だから三倍返しね。」
「元本命ですよね。在庫処分ですよね。」
先輩は不機嫌そうなまま続けた。
「あたしが持ってても使わないし。オクに流すよりあんたにやれば三倍良いものになって戻ってくるし。」
勝手な人だ…。
「で、もう一度聞くけどあんた何でここに居るのよ。彼女とディナーとかしないの?せっかくあたしが取り持ってあげたのに。」
僕は肩を落とした。
そうなのだ、彼女は僕にバレンタインの贈り物を渡すとそそくさと帰ってしまったのだ。
「チョコくらい貰ったの?」
「一応いただきました…。」
「どんなチョコ?」
「家で開けて欲しいって…。」
「見して。」
「え?」
「いーから!」
先輩は言うなり僕のカバンを容赦なくとりあげた。
最後に入れたものだから開けるとすぐその箱があらわになる。
「へ~。買ったんだ。」
「買ったんじゃありません!もらったんです!」
先輩はさっきまでの不機嫌さとは打って変わって楽しそうに笑った。笑っていればこの人は美人なのに。
「開けてみ。」
「家で開けます!」
「なかなかいい品だよ。まぁ最高級とはいかないけどね。」
この人は何を知っているというのだろう。
「先輩なんか知ってるんですか。」
「相談されたんだよ。どんなのが喜ばれるかってね。で、付き合っただけ。そ、付き合っただけであたしは一言もアドバイスしていないよ。それにその時は結局迷っていて買わなかったからね。全部あの子が決めた。」
先輩は彼女が何を買ったのか知っているんだ。
横でニヤニヤしている人が居るのが気に入らなくて、僕はゆっくり包みを開いてみた。
高級なチョコレートってのは確かに無駄に高いから買うのに躊躇しても仕方ない。丁寧な包装をはがすと現れるケース、その封をそっとはがし、ゆっくりと蓋を取り上げてみる。
先輩がグラスを傾ける氷の音が聞こえた。
薄暗い照明を控えめに受けてキラリとどこか高貴にそれは光った。
目の前にゆっくりあらわになる黄金色の鏡面が僕の間抜けな表情をゆがめて映す。
それは美しい懐中時計だった。
「ちっこいけどね。金だよ、金。18金。」
なんでこんなものを彼女はよこしたのだろう…。
これまで付き合った中でお互いそんなに裕福な暮らしをしていないことは知っていたし、それゆえ贈り合うものもここまで高価なものなどなかったのに…。
戸惑っている僕に先輩は言った。
「あんたさ、高いもの買ってあげられない事に負い目感じてない?」
喉が詰まる一言だった。それがそのまま顔に出たのだろう。先輩はさも可笑しそうにきししと笑った。
「わっかんないかなぁ…。それ、彼女のひと月分の給料と同じくらいの値段ね。」
背筋が伸びる思いだった。
自分自身顔つきが変わってゆくのを感じた。
「お、良い顔になったな。だったらあたしへの三倍返し、しばらく待ってあげるね。」
彼女が何を思ってこれを購入したのかようやくわかった。
真剣だったんだ。だからこそ今日彼女はちゃらちゃらと過ごしたくなかったのだろう。
「あんたに不満ぶちまけるつもりで呼び出したけど、もっといい気分になったからいいや。けど、ここはあんたのおごりね。」
先輩はカクテルのお代わりを告げた。
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