ブルーバード

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愛が甘寧と出会ったのは3年ばかり前のことだった。 母親の言いつけで、侍女を伴って近所の親戚の家へ季節の挨拶に行った時のことだ。帰り道、 太守・黄祖(こうそ)さまがおわす役所の前を通りかかった丁度その折り、そこから出てきた男が甘寧だった。 愛は一瞬にして甘寧に目を奪われた。 女性のモノより美しい髪を靡かせ颯爽と現れた男は、顔立ちも整っており目元の黒子がなんともいえない色気を放っている。身体つきもしっかりとしており、背もずば抜けて高い。美丈夫、とは彼の為にある言葉だと知った。 ーーこんな殿方、初めて見た! 思わず足を止めて男を見つめていると、その視線に気がついた甘寧がこちらを振り向く。彼はここに至るまでにあったことの余韻であろうか、眉間に皺を寄せて険しい顔をしていた。しかし、愛の姿を認めると破顔一笑。人のよい微笑みを浮かべた。未だ異性の好意など父親からしか知らない少女の身体が芯からカッと熱くなる。愛は真っ赤に染まっているであろう顔を袖で隠すと、侍女に合図をかけて足早にその場を逃げ出した。 それからというもの、愛の頭の中は寝ても覚めてもあの男のことでいっぱいだった。どうやら奪われたのは目だけでなく、心もであったらしい。 名も身分も知らない男に想いを馳せるなど馬鹿馬鹿しいことだが、年相応の少女なら仕方がないことである。そこそこの名家に生まれた愛には自由に出来ることは少なく、いずれは親が決めた相手に嫁ぐのだ。すると今度は婚家のしきたりに縛られて生きていくのだからなんとも窮屈な生涯だ。 ーー女の一生は鳥篭の中ね 空を縦横無尽に飛び回る鳥を見上げて暗い気持ちになる。そんな風にめげてしまった時に、あの男の微笑みを思い出すと心が弾んだ。どうせ自由などないのなら妄想位好きにしてもバチは当たりはしないだろうと愛は己に言い聞かせるのだった。 その日、朝から降っていた小雨は夕方からどしゃ降りに変わり、強風をも伴った。夜になっても風雨は止まず、家人は邸の戸締まりを厳重にして床に入る。愛も自室の窓をきちんと閉じて寝台に横になったが、雨と風の音でなかなか寝付けないでいた。 目を閉じて考えるのは役所の前で出会った男のこと。あの時は気恥ずかしくて無愛想な態度を取ってしまったが、笑顔で挨拶の一つでもしていたら名前位知ることが出来たかもしれない。そうすれば日々の妄想により現実味がでるのにな、そんなことを考えていると、妙な音が耳についた。 コンコン 何かを叩く様な音。風がどこかの木戸を打ち付けているのかと思ったが、その音は一定で規則正しい。 コンコンコン 愛は身を起こすとまず廊下へと続く扉に目をやる。親が用事でも思い出して訪ねて来たのかと思ったが、そんな様子でもない。 コンコン コンコン 音はもっと身近で聞こえてくる。風雨の音に紛れて控えめに打たれるその音は、先ほど念を入れて閉じた窓の方から発せられていた。愛はそろそろと寝台をおりると、恐る恐る窓へと近づく。 コンコン 誰かが、この木戸の向こう側にいる。愛は確信した。 ーーこれは一体【ナニ】かしら? この天候に乗じた盗っ人の類いならあまりにお粗末な方法だろう。雨をしのげる場所を提供してほしいという者なら玄関の扉を叩けばいい。この向こう側にいる人間は何を考えているのだろうか。愛は不思議に思い、いつしか恐怖を忘れていた。その間にも音は止まない。 ーーこの向こうには、きっと自由がある 何故だかそう思えて、愛は躊躇いなく木戸を開いた。するとそこには思った通り人影がある。しかし、闇が深くて何者かが確認できない。火でも灯そうかと思い立ったその時、雲の切れ間から月光が降り注ぐ。照らされたのは、まさしく想いを馳せるあの男だった。 愛は静止して両目を真ん丸に見開く。その間に男は長い足を窓枠にかけると難なく部屋に侵入した。あまりのことに何も言えずに口をパクパクとさせるだけの愛に男はあの時と同じ笑顔で言った。 「俺は甘寧。ちょっと君の部屋で雨宿りさせてくれないかな?」 こうして愛は嵐の夜に甘寧を迎え入れ、そして自らの身で受け入れるのだった。 ***
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