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甘寧はその後もしつこく月の障りのことについて真偽を問いただしてきたが、生憎月経は本当だった。
「参ったなぁ」
天井を見上げて悔しそうに呟く男に、愛は嫌みっぽく言ってやる。
「そんなになされたいのなら、他の娘に頼めばいいじゃないですか。皆が皆、同時になってはいないわよ」
愛は知っている。自らが甘寧にとってただの【都合のよい女】であることを。そして彼にはそんな【都合のよい女】が他にも沢山いるのだ。
甘寧と愛は肌を重ねているが、将来を約束した仲ではない。この関係は秘匿であり、祝福されるものではけしてない。愛の方は甘寧に惚れ込んでいるのだが、甘寧の方は愛が自分に惚れ込んでいるのをいいことに思うまま性欲を発散させているだけなのだ。それが悔しくて他の娘の所に行けなんて言ってみるも、その発言に直ぐ愛は後悔して俯いてしまう。
「いや、今夜は君といるよ」
思いがけない甘寧の一言に愛は弾かれた様に顔を上げる。淡い期待を抱いて男の横顔を見つめるも、彼は呑気に欠伸をしていた。いい感じに酒が入り眠くなったので、他の娘の家に行くのが億劫なだけの様子だった。それでも、それでも彼がいなくなってしまわないのが嬉しくて、男の胸板に頬を寄せる。
「今日はどうしてやけ酒などしてしまったの?」
こちらも一度眠りかけたのを起こされた身、話しかけてもよいだろうと一人納得して問いかければ、甘寧はふわふわと眠たげな声色で答える。
「俺は、いつも主に恵まれない。皆が俺を過小評価する」
主、というのは太守・黄祖のことだろうか? そういえば初めて会った時、甘寧は太守のいる役所から苦々しい顔をして出てきたのを思い出した。
「景升殿も俺を武だけの人間だと思って認めてはくれなかった。まぁこちらも野心のない方だと思っていたから見切りをつけるのには丁度よかったけど」
「けいしょー殿って?」
「この辺りで一番偉いお方だよ」
「それは黄祖さまでしょう?」
「黄祖は景升殿の家来に過ぎない。もっともその景升殿も王朝の家来だけどね」
「ふぅん」
難しい話しはよく分からない。愛にとって世界とはこの鳥篭の様な邸と夏口の街だけなのだ。それにしても今日はよく喋る。酒がいつも以上に入っているからだろうかとぼんやり考える。
「俺は江東の孫策殿にお会いしたく南陽を立ったというのに、黄祖に足止めを食らってもう3年もの間いいように飼い殺されている。その間に孫策殿は亡くなってしまった」
いいように飼い殺される、適当に相槌を打っていた愛だったが、甘寧がそんなことを思って憤慨しているのだと知るとどうも癪に障った。
ーーぬけぬけと。それは私だって同じよ
甘寧との関係の異常性は愛にもよく分かっていた。このままこんな関係を続けていくのはあまりに不健全だし、両親を裏切り続けているのはやはり心が痛む。何度もこの会瀬を止めようと思い、それを口にしてきた。
しかし、この男は狡かった。言葉巧みに愛を誘惑して説き伏せると、ダラダラともう3年の間も関係を続けさせた。まさに愛はこの男に飼い殺されている。
「俺はいつまでもこんな所に留まっていられない。孫策殿が亡き後は弟君である孫権殿が後を継がれたらしい。その方は多くの人材を手広く集め、重宝していると聞いた。だから俺はそこに行く、必ず」
愛の世界をこんな所だと一蹴した甘寧は本当に鳥の様な男だ。無論、愛の様な鳥篭の鳥ではなくて空を自由に飛ぶ鳥の方だ。しかし今はまだ愛と同じく鳥篭の中に押し込められている。
「甘寧さまは私など置いていつかそのそんけん殿の元へ羽ばたいて行ってしまうのね」
自分でも驚く程冷たい声がでた。慌てて口を塞ぐも、一度放たれた言葉は戻らない。またも後悔が身を襲う。こんなに重くて、束縛めいたことを言っていては本当に愛想尽かされてしまう。そうなればもう甘寧はここに通ってこないだろう。愛は【都合のよい女】でいたくないはずなのに、【都合のよい女】でいられなくなるのが恐ろしかった。
急いで弁解をしなくては捨てられてしまう、愛は血の気が引いた顔で男の顔色を窺ったが、
「寝てるわ」
甘寧はすぅすぅと安らかな寝息を立てて眠りについていた。だがしかし、本当に寝ているのだろうか? ただ単に面倒そうな話しの流れになってきたので狸寝入りで誤魔化そうとしているのでは? もしそうだとしたら何とも無責任な男だ。愛は段々と腹が立ってきて甘寧に背を向ける。そして踵で男の脛を蹴ってから眠り始めるのだった。
翌朝、愛が目を覚ますと隣に甘寧の姿はなかった。いつも彼は愛には何も言わずにひっそりと帰ってしまう。
ーー私が無理に引き止めるとでも思っているのかしら?
絶対にそんなことはしない。ただちょっと、次はいつ頃訪ねて来るのかを聞きたい。そうすれば部屋だって身なりだってそれなりに整えておけるのに。
しかしそんな愛の思いを甘寧は察することは出来ない。彼には多くのとまり木があり、その日の気分で羽を休める場所を決めるのだから約束は出来ない。
「ああ、馬鹿馬鹿しい。本当に」
自嘲的に呟いて、自分が嫌になる。性欲を発散する為だけに使われるなんて、まるで色を売って生計を立てる身分の低い女ではないか。そんな酷い仕打ちを受けているのに、あの紫色の美しい髪を持つ男のことがどうしても嫌いになれない。そんな自分がどうしようもなく嫌だった。
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