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目に見えて落ち込んでいる娘に、母はこう提案した。
「市の方に行商の団体が来ていたわ。珍しい物があるかもしれないから行ってみたらどう?」
とてもそんな気分にならなかったが、お小遣いを握らされてはもう反抗する気も起きなかった。
侍女を一人伴って市へと向かう途中、ふと空を見上げる。どこまでも青い、青過ぎる空。雲もなく太陽が燦々と輝いている。こんなにも清々しい空なのに鳥が一羽も飛んでいない。
「鳥は何処に行ったのかしら?」
愛は後ろに続く侍女に訊ねる。すると彼女は愛と同じ様に空を仰ぐ。
「嵐がくるのかもしれませんね。鳥は嵐を予知することが出来る様ですよ」
「こんなに晴れているのに?」
「嵐の前によく晴れるということは度々あるそうです」
「へぇ」
そんな話しをしている内に市場へとたどり着く。母の言う通り、見たこともない意匠の飾りや、食べ物などが沢山並べられている。それ欲しさに押し寄せる人もまた多く、愛はつい侍女とはぐれてしまった。
ーー嫌だわ、やはり家に居た方がよかったじゃない
そう心の中で愚痴をこぼしたが、たいして広くない市場だ。適当にぶらついていれば見つけてもらえるだろう。気楽に考えることにし、愛は品々を見て回る。目新しい物ばかりで良い気晴らしになる気がした。
早くあんな男なんて忘れてしまおう。そう思うのに、彼女の目を引いたのは小さな鳥の焼き物だった。しかもあの男の髪と同じ色で模様が描かれている。
途端に、あの男との会瀬の時間が走馬灯の様に浮かんできた。愛してるなんて語らったことは一度もなく、身体だけの関係だった。それなのにどうしてこんなにも好きになってしまったのだろう? 胸がぎゅっと締め付けられ、目頭が熱くなる。泣いてしまう、そう思った時ーー
「お嬢ちゃん、その鳥の置物を買うのかい? いや、お目が高い」
店主に声をかけられて我に返る。目元を拭いながら頭を横に振る。
「いいえ、結構よ。これを見ていると過去が私を殺しに来るもの」
店主は目をぱちぱちと瞬かせ、訳が分からないといった感じだ。
そういえば、行商人は渡り鳥の様だ。このご時世、危険はつきものだし、色々な制約はあるのだろうが彼等は大陸のあちこち自由に歩き回ることが出来る。鳥篭の中で生きることしか出来ない愛にとってそれは羨ましいことで、見知らぬ土地に思いを馳せながら商人に問う。
「もし、この次は何処に行く予定なのかしら?」
きっと聞いても分からないだろうが、名だけ聞けばあることないこと、色んな妄想が出来て楽しめる。
「へぇ、次は江東の方へ行こうかと」
江東、知らぬ名の地ではない。不意に彼女の心臓がドクドクと嫌な音を立てて打ち始める。背中に冷たい汗が流れ、口元が震える。急に黙り込んでしまった愛に店主が声をかけようとした時、侍女が駆けつけて来た。侍女もお嬢様の様子がおかしいのに気がつくと、その身体を支えてやってゆっくりと帰路についた。自宅に着くまでの間、愛は一言も発することなかった。
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