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「やぁ、久しぶり」
眩い笑顔を横目にグラウンドの隅へ鞄を置く。側にある使い古されたエナメルバッグは綾瀬先輩のものだろう。彼が身につけている靴と同じブランドのロゴが入っているから。
サッカーボールと戯れる彼へ問いかける。
「声かけた人の顔、全部覚えてるんですか?」
「まさか! 君は天才の匂いがしたから覚えてた」
「……はぁ」
俺の返事に笑った彼は、リズム良く跳ねていたボールをぽーんと高く蹴り上げた。そして、こちらを向く。
「君、『化け物』って言われたことあるでしょ?」
動きを止めた俺に「そゆこと」と指を差す。言うだけ言った先輩は、落ちてきたボールを胸で受け止めてリフティングを再開した。
顧問と部長に「入部の件、考え直します」と言い置いて帰ったあの日。アナウンサーになるためだけに生きていた、生かされていたことに気づいて母に宣言した。「この三年間は他のことをする」と。
その日の夜だ。寝付けなかった俺はベッドの中で聞いてしまった。夜遅く仕事から帰ってきた父に「私に淳みたいな才能があれば」「あんな化け物みたいな才能持ってるのに」そう零す母の声を。本人の前では言わないという理性が働いているだけ幸いだと思う。思うけど、それとこれとは別。俺は自分を蔑ろにしすぎていた。母は俺に託しすぎていた。父は子育てを母に任せすぎた。
理解すると同時に、アナウンサーになる気はすっかり失せてしまった。
仮入部期間、色んな部活に顔を出したが「やりたい」と思えるものはなかった。正確には、仮入部期間は「やりたい」という気持ちそのものがわからず、何もやりたくないのだと認識してしまった。
十五年間、自分の感情を一切気にしていなかったからだろう。どうにも己の欲求を汲み取るのが苦手だった。
「そおーりゃっ、受け取れ!」
掛け声と共にボールが飛んでくる。なんとか受け止められたが、タイミングが悪かったら顔にぶつかっていたかもしれない。思わず眉を顰める。
「……なんなんすか、あんた」
機嫌の悪さを隠さず問いかければ楽しそうな笑みが返ってくる。
「言ったろ? あーそびーましょー、って」
彼の口角が上がる。明らかに挑発されている。
確かに、ヘッドフォンを外して聞こえた声は「あーそびーましょー」と節をつけて叫んでいた。あそぶ。状況を加味するならサッカーボールで遊びましょう。つまり、サッカーをしましょう。部員から尊敬を集めるこの先輩と? 素人の俺が?
へぇ、面白い。
ブレザーを脱ぎ捨て袖をまくる。これで窮屈さはかなり減った。
次いでボールを足元に落として感触を確かめる。ボールに触れるのは中学の授業以来だけど、まぁ、運動神経は悪くないので。やりたいことはできるはず。
「んじゃ、遊びましょうか。センパイ?」
「はいはい。こっちは準備できてるよ、後輩くん」
先輩の許しを得て、サッカーボールを思い切り蹴る。目標は彼の顔面。
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