8 ~真3~

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8 ~真3~

 三人で食事をする日が来るなんて。  穏やかに微笑み合う二人を、穏やかな気持ちで眺められる今の状況を噛みしめながら、ここに至るまでの三人の日々を思い出した。  栞ちゃんは人をプロデュースするのが趣味。  いや、ここまで来たら癖だ。  栞ちゃんの選ぶ恋人や友達は、みんな栞ちゃんの手によって大成している。  中には手を離れてから方向性を見失う人もいたけど、それは稀だ。  六歳年下の弟の僕は一番最初の対象者かもしれない。きっと生れた時から、プロデュースされているんだろう。洋服も、髪型も、習い事も。高校も大学も自分で選んだつもりだったのに、結局は栞ちゃんが描いていた通りになった。今、働いている店もそうだ。  でも、悪い事ばかりじゃないし、それは栞ちゃんの愛情表現だと解釈している。だって、本当に嫌なことはハッキリと言ったら辞めてくれる。  中学生の時に、ファッション誌のモデルに応募されそうになった時は、泣きながら辞めてくれとお願いした。今思い出しても、震えがくるほどに怖い思い出だ。  栞ちゃんがウチに来た本当の目的は分からいけど、今の満たされた生活をかき乱されることは容易に想像できた。今の僕の生活には、梨子さんが必要不可欠で、でも、僕と栞ちゃんの混乱に梨子さんを巻き揉むわけにはいかない。  人付き合いが苦手で、しかも女の人は特に苦手な僕に親しい女性がいると、栞ちゃんが知ってしまうと興味を持たない訳がない。  しかも隣人の梨子さんは、綺麗な人。  栞ちゃんが目を付けないはずが無い。  絶対に二人を近づけてはいけない。そう思い、栞ちゃんがウチにいる間は接触しないようにしていた。  しかし結局、梨子さんを巻き込んでしまう形になった。  あんなに気を付けてたのに、恐るべし、姉の洞察力。  僕の部屋を見ただけで、梨子さんの存在に気付くなんて。  そうとは知らずに他人の振りをして、梨子さんを守っているつもりだったのに、嫌な思いをさせていた。  梨子さんは吃音症で口数の少ない僕と一緒に居る時はいつも、僕の動向を見ていて、僕が何を伝えたいのかすぐに察してくれる。だから甘えていたのだ。  分かってくれていると思っていても、大切なことはちゃんと説明しなければ、相手を傷つけることになりかねない。そう身を持って実感した。  栞ちゃんに僕たちが一緒にいるところを見つかって、梨子さんの部屋にお邪魔した夜、すぐに栞ちゃんの事を話さなければと思っていたのだが、あの魅惑的な部屋を見てしまったら、僕の衝動が抑えられなくなった。  そんな僕を見た梨子さんは、「話はあとで良いから、気の済むようにして。」と僕を気遣ってくれた。  その言葉に、甘えて僕は欲望を満たし始めた。  一心不乱にモノが散乱している部屋を片付けて、終わりが見えた頃。欲望を満たせた満足感で部屋を見渡すと、梨子さんはいつの間にか、お風呂から上がって、僕が片付けたばかりのリビングでパックをしながら、手足にボディークリームを塗っていた。  「ごっごめんなさい。むっむっ夢中になっなりすぎて。」  ごめんなさい。夢中になりすぎて。  そう謝ると、梨子さんの前に正座した。  「いいのよ。真君が私の部屋にしか興味ないことくらい、分かってるから。」  そう言いながら、パックをはずして、クリームを塗る。  「そっ、そんな事っ。りっ梨子さんは、ぼっ僕にとっとって、たっ大切な、ひっ人、です。」  そんな事無い。梨子さんは僕にとって大切な人です。  正面から目を見て、嫌、クリームを塗っている顔を見て言った。  「大切な人?」  僕の言葉に手を止めると、梨子さんも正面に座り直し、お互いに向かい合った。  化粧を落とした梨子さんを初めて見たが、化粧をしている時よりも、黒目が大きく見えて、いつもより表情が良く分かる。  素顔の梨子さんも綺麗だな。  不謹慎にも、そう思いながら、頷いた。  「あの女の人も大切な人?」  梨子さんの目は僕の目を捉えてはなさない。  僕は頷きながら答える。  「しっ栞ちゃんは、たっ大切な、かっ家族っだから。」  栞ちゃんは大切な家族だから。  その言葉に、梨子さんは眉をひそめる。  「家族?」  僕は頷く。  「あっ姉、です。」  その言葉に驚いたのか、言葉も無く、大きく目を見開いて、口を開いた。  「えっ、でも、栞ちゃんって名前で。それに、彼って。手も繋いでたし。」  疑問を次々と単語にして動揺する姿は、いつも余裕があって完璧な姿からは想像できない、可愛らしいものだった。  栞ちゃんに、僕が物心ついた頃から名前で呼ぶようにと言われている事。  兄弟なのにあまり似ていない僕は、外では彼氏の役割をよくさせられている事。  通訳の仕事で海外の人と接する事も多く、スキンシップが激しい事。  でも、小さい頃から、吃音症の僕を心配して、一緒に居る時は手を繋いでくれていた事をゆっくりと話した。  梨子さんは、答え合わせをするように、黙って頷きなが聞いていた。  「りっ梨子さんは、はっ初めて、いっ一緒に、いっ居るのが、たっ楽しいと、おっ思った、おっ女の人。」   梨子さんは、初めて一緒に居るのが楽しいと思った女の人。  僕が休みの日は梨子さんの部屋を掃除させてもらう。その夜はお礼にと梨子さんが夕飯をご馳走してくれる。外食を好まない僕と、部屋にはサプリと水とゼリー飲料しか食べ物を置かない梨子さんは、デリバリーやテイクアウトを買ってきて僕の部屋で一緒に食事をする。  たった三ヶ月の間に習慣化されたそれは、今の僕にとって待ち遠しい時間になっている。女の人と一緒に食事をしてこんなに楽しいと思ったことは今までなかった。  だって、栞ちゃんがウチに居る間、掃除の欲望はある程度は満たされていたけど、栞ちゃんと一緒にご飯を食べていても、梨子さんとの食事を何度も思い出した。僕の部屋で一緒に食事をするのが梨子さんじゃないことが、もどかしかった。  僕の愛すべき日常には、もう梨子さんが存在していたのだ。  そんな梨子さんは、僕にとって特別で大切な人だ。  だから、栞ちゃんに邪魔されたく無かった。  「それって、私の事が好きって事?」  「よっよく、わっ分からない、けっけど、そっそう、だと、おっ思う。」  よく分からないけど、そうだと思う。  我ながら、はっきりしない答えしか言えない。でもそれが、本心だ。  この感情が、恋愛感情なのか、自分でもはっきりと分からないのだ。  梨子さんは可笑しそうに微笑んで、膝に置いてある僕の両手をとった。  梨子さんの手は暖かくて、緊張で冷たくなっていた僕の指先に体温を分けてくれた。  「好きって、ドキドキするもんだと思う。真君は私と居てドキドキする?」  僕の目を見たまま、小さく首を傾げる。  僕はどう答えようかと考える。  僕の言葉を待たずに、梨子さんが話す。  「私にとっても、真君は大切な人。  真君は、魅力的な容姿を持った欲望を満たしてくれる、お友達だと思ってたの。でも、真君が女の人に言い寄られてるのは、良い気がしないし、まして自分より魅力的な栞さんの存在は、怖くて仕方なかった。  真君は私にとって特別で、私も真君にとって特別になりたいと心のどこかで思ってたんだと思う。」  「りっ梨子さんは、とっ特別、でっです。」  梨子さんは、特別です。  素直な気持ちを口にする。  「私は、真君を独占したいの。誰にも見せたくないし、触れられたくないの。私だけのモノにしたいの。」  梨子さんの告白に心臓の鼓動が早くなる。  「そっそれって、すっ好きってすっ、こっこと?」  それって、好きってこと?  「多分。」  梨子さんは目を逸らして、自信なさげに小さく呟く。  「ぼっ僕に、どっドキドキ、すっする?」  僕にドキドキする?  梨子さんと同じ質問をする。  「ドキドキよりも、イライラ。」  「えっ?」  「一緒に居る時は、カッコいい真君をいっぱい見られて幸せなの。でも、他の誰かと真君が一緒だと、イライラするの。」  また僕の目を見て、怒ったように言った。  僕は、予想外の言葉に驚いた。  梨子さんは、まだ目をみたまま言葉を続けた。  「私の好きは、ドキドキとは違う感情。もっとドロドロして強いの。」  そう言うと梨子さんは掴んだ手に力を入れる。  「真君のマスクやマフラーで隠している素顔を見られるのは、私だけがいい。  唇に触れられるのは私だけがいい。」  梨子さんはそう言うと、そっとキスをした。  そして、僕の首に抱きついた。  「ごめん。これ以上は我慢する。」  耳元で聞く梨子さんの声と、いつもの香水とは違うシャンプーの香りに一層ドキドキしながら、梨子さんの細い身体に手を回した。  僕の鼓動を伝えるように、フワフワの部屋着を着た梨子さんの肩に顔をうずめる。  僕は初めて梨子さんに触れた夏の日から、梨子さんに触れられるたびにドキドキしている。初めて言葉を交わした日に腕に軽く触れらただけでも、マフラーをくれたクリスマスの日に両手で顔を包まれた時も。  でも、梨子さんのキスと抱きしめた感覚でハッキリ分かった。  僕は梨子さんに恋しているのだと。  僕の好きは、ドキドキだけじゃない。梨子さんに触れたいという欲望もだ。  「す、き。です。」  すぐ側にある梨子さんの耳にそう呟いて、抱きしめていた腕をほどいた。  僕の首に巻きついている梨子さんの細い腕もほどいて、僕の心臓に梨子さん手を当てる。  早い鼓動が、僕の本音。  僕の鼓動を感じた梨子さんは目を合わす。  僕は梨子さんの小さな顔を両手で包む。  そして、素顔のピンク色の唇にそっとキスをした。  僕が素顔も心も隠さないでいられるのも、我を忘れて片付けたくなるような部屋を作り出せるのも、覚醒したもう一つの欲望を満たしてくれるのも、梨子さんしかいない。  僕たちは、気持ちを確かめるように、長いキスをした。                             完    
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