16人が本棚に入れています
本棚に追加
2 ~梨子2~
翌朝。
悶々とした夜を過ごし、完全に寝不足な顔をしている自分を鏡で見る。
最悪だ。
顔も、気分も。
はぁ~。と大きなため息をついて、顔を洗う。
目の下のクマも、喉まで込み上げているモヤモヤも、全部洗い流せますように。
そんな願いは、顔を洗っただけでは叶えられないことは、嫌でも知っている。でも、そう思う事で、自分の気持ちに少し整理がついて、何をすればいいのか、段々と見えてくる。
まずは、出勤の準備だ。
実家帰りの鈍った体をお仕事モードにカスタマイズするには、メイクと服があればいい。
冴えない顔の自分を鏡で見ながら歯を磨いたら、シートパックをする。5分の浸透時間の間に、本日のコーディネートを決める。
「今年は例年より、早く桜が見られるかもしれません。」と、今朝、お天気お姉さんが言っていた。
確かに、例年よりは暖かい冬なのかもしれない。
バレンタインデーが終わった今週の週間天気予報は、春のような気温が時々見られる。
もう春だな。
そう思ったら、パステルイエローのワイドパンツが目に入った。薄手でタイトなライトグレーのハイネックニットを合わせる。コートはキャメルのトレンチだな。ライトグレーのバックにパイソン柄のハイヒールでインパクトを足す。
コーディネートが決まったら、次はメイク。
いつものように丁寧に下地とファンデーションを塗る。
眉毛は茶色。アイカラーは、スモーキーピンクの細かいラメが入ったアイシャドーを全体にのせて、この秋冬のお気に入り、赤みががったブラウンのクリームシャドーをアイホールにのせる。茶色のアイライナーと二本の黒のマスカラで優しい目元を作る。最後にピンク系のチークとリップ。シャープな顔立ちがキツくならないように心掛けた仕上がりだ。
メイクが仕上がったら、コーディネートした服に着替える。
髪は、ハイネックなので、ストレートのワンレングス・ボブを無造作に一つにまとめて、首周りをすっきりとさせる。
アクセサリーは小さいパールのピアスと細い黒革の時計だけ。
全部、身につけて最終チェック。
うん。今日も完璧。
いつもの香水をつけて、数種類のサプリをペットボトルの水で流し込む。朝ごはん完了。
パイソン柄のハイヒールを履いて玄関を出た。
外はまだ冬なのだと教えるような冷気が、容赦なく待ち構えていた。
寒さに首をすくめながらエレベーターを待っていると、後ろに誰かが並んだ。少し振り返って確認すると、女だった。
しかも昨日の。
私は驚いて、固まった。
女は私と目が合うと、ニッコリ笑って会釈をした。その動作がやけに妖艶で、自分が良い女だと知っていると確信した。
私も固まった表情を無理やり笑顔にして、ぎこちない顔で会釈をした。
くそっ、負けた。
勝手に対決した朝の笑顔対決は、圧倒的敗北を感じてしまった。
しかもその敗北は笑顔だけじゃない。人並以上の容姿を持っていると自覚している私でさえ、素直に負けを認められるほどの、華やかな顔立ち。厚目の唇が印象的だ。細長い手足にグラマラスなボディーライン。ただ細いだけの私とは大違いだ。女の私でも惹きつけられるその容姿は、私の完全敗北を認めざるを得ない。
そんな私達のところに、真君が来た。
「し、栞ちゃん。」
女に駆け寄って、直ぐ後ろにつく。そして、私を見た。
その顔は、驚きだった。
私はぎこちない笑顔のまま、真君にも会釈をした。
真君は無言のまま会釈だけすると、すぐに私から目を逸らし、女の腕を掴み、耳元で何やら囁いている。
私が舐めるように見たかった、イケメンの真君はすぐそこに居るのに、満足どころか、不満がどんどんたまっていく。
おまけに、親密そうな二人のやり取りは、私の機嫌を損ねるのに十分だ。
不機嫌な顔を隠すように、前を向いたら、ちょうどエレベーターが来た。
私は乗り込むと、二人が続くのを待った。しかし、真君が、手を振って、行ってくれと言うような仕草をするので、私は頷いて、「閉」のボタンを押した。扉が閉まると、一人の空間で大きく息を吐き出した。
いつの間にか、不満をため込むように息を吸い続けて、吐き出せずにいたのだ。そして内心、ホッとした。二人と同じ空間に居る事は、今の私には耐え難い。
どうしてこんなに憤らなければならないんだ。
部屋を出る前に沈めた感情が倍になって湧き出てきた。
私はエレベーターを降りると、ここには居ない真君に聞こえるくらい、いつもより大きくヒールの音を響かせて歩いた。
朝にあそこで二人に会うってことは、女は真君の部屋に泊まったってことだよね。
歩くたびに跳ね上がる鼓動とは別に、頭は意外と冷静に状況を分析する。しかしそれは、私が望まない方向へと、どんどん流れていく。
真君は彼氏じゃないから、女を部屋に泊めても、私がどうこう言える立場じゃ無いことくらいわかってる。
でも、彼女がいるなんて聞いてない。そんな素振りも無かったよね?
真君が心を開いている女は私だけだって思っていた。それがショックなのか?
この間のクリスマスに、店の近くで知らない女にしつこく言い寄られて、困っている真君を助けた時も、何故だか凄く腹が立ったのを思い出した。
それはまるで、お気に入りのおもちゃを誰にも触らせたくなくて、一人でこっそりと遊んでいる子供のような独占欲。その感情が、また沸々と湧き上がる。
今の私はまるで、お気に入りのおもちゃを、あの女に目の前で取り上げられたのに、必死で平気な顔をして強がっている、自意識過剰で意地の悪い子供みたいだ。
あぁ、最悪だ。
真君は私が先に手放すものだと思っていた。まさか、私の方が手放されるなんて。
しかも、まだ手放したくないのに。
私は真君の容姿で。真君は私が創り出す空間で。誰にも言えない秘密の欲望を満たし合っていたのに。
私達の間には恋愛では無く、友情でも無く、ただ、お互いの欲求を満たし合う、都合のいい関係しか存在しない。その割り切った関係を求めたのは、私の方だ。
高ぶった感情を沈めるように、冬の冷気を肺いっぱいに吸い込んだ。しかし、熱を帯びた心は簡単に冷めはしない。
職場までは徒歩10分。
それまでに、仕事モードにならなくては。
最初のコメントを投稿しよう!