僕はバケモノを飼っている

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僕は、僕ではない生き物を「飼って」いる。 最初にそれの存在に気がついたのは幼稚園のことだった。じりじりと太陽が照りつける夏のある日、砂場で遊んでいると友達は、それを指差して言った。 「まーくん、なんかへんなのついてるー!」 と。 友達の指差す方へ視線を移すと、真っ黒い生き物が僕の足元に引っ付いてうようよとうごめいていた。 大泣きしながら先生に抱きつくと 「あれは、『かげ』って言うんだよ。まーくんだけじゃなくてみんなにあるんだよ。ほら、先生にもあるでしょ?」 と頭をなでられた。 迎えに来た母さんに、 「今日はかげの存在に気がついて怖くて泣いちゃったみたいです、この年くらいになるとみんなそうなんですよ、微笑ましいですよね」 と先生は伝えた。 母さんは、笑いをこらえつつ、 「かげは、まーくんのまねっこをするのよ。だから、怖がらなくて大丈夫」 そう言って僕を抱き締めた。 母さんのお腹に顔をうずめながら、僕はそいつをにらんだ。 背中から浴びる太陽によって作られたかげもまた、母さんに抱きついている。 母さんの服を掴んでいるはずの両手を、まるで僕をバカにするかのようにひらひらと振りながら。 幼稚園を卒園する頃になると、僕の「かげ」は、やはり普通とは違うということに気がついた。僕の行動とは反した動きをしたり、友達の前でわざとらしく動いたりしてみた。それを見た友達は、 「まーくんにバケモノがついてる!」 と泣き叫んだし、僕の顔を見るだけで怖がる友達も増えた。 こいつの嫌なところは先生の前では普通でいるところだ。友達が先生に言いつけても、先生が見ているときには僕の行動に従って、勝手に動いたりはしない。それは、母さんや大人の前でも同じことだ。自分のかげがおかしいことを何とかして伝えたいと思ったが、ショッピングモールに行っても、幼稚園の運動会でも、かげはおかしいことをしなかった。 そんなんだから、友達の方が何かを勝手に怖がっている変な子どもと思われて、僕はいつだって友達になぜか泣かれてしまう、かわいそうな子どもだった。 僕は「かげ」が嫌いだった。姑息なところが特に嫌いだった。これから小学校に上がるというのにどうしてくれるんだと日々悩んだ。かげは、僕の考えていることがわかるようで、バカにするように親指を耳にあて、4本の指をひらひらと頭の横で動かす。どっちが偉いのかを教えてやろう、とかげを踏みつけにしてやったら、かげは、びくりとうごき、そのまま止まった。 それから勝手に動くことはなくなり、僕の言うことをきくようになった。最初からこうすれば良かったのだ。 そんなこんなで僕は安全に小学校生活をスタートさせた。ときどきあいつが勝手に動くそぶりを見せる瞬間、かげを踏んでやる。そして、言うことをきかせた。 小学生も終わりに差し掛かったころ、かげはすっかり鳴りを潜め、素直になっていた。もう、幼いあの日に見たことは夢だったのだろうと思うくらいにはかげは動かなくなっていた。そのおかげで学校生活は順調だったし、このまま中学校生活も乗りきれるだろうと思っていた。 6年生の秋の日、荒れに荒れた僕のクラスは学級崩壊を起こしていた。 グループで固まって、ひそひそと笑い合うのは女子も男子も変わらない。 僕はある男子グループに目をつけられた。 僕は頭がよかった。崩壊した授業を受けてもテストでは100点をとれていたし、先生からは気に入られていた。そんなのが気にくわなかったのだろう。ある日の帰りに呼び出された。体育館の裏、というお決まりの場所に呼ばれ行ってみると、 授業中、特に邪魔をしている男子グループがそこにいた。 一番背が高くて中心格の高瀬、高瀬についでクラスを牛耳る百道、そんな2人の言いなりで奴隷のような存在になっている神埼、篠島、渡部だ。 お決まりのように殴られるのだろうと僕は覚悟を決めた。やり返せるような体格ではなかったし、僕の拳の威力なんてたかがしれている。 5人に睨まれて、気持ちだけでもと地面を強く踏んだ。あっけなく倒れるのは嫌だった。やられたとしてもよろけるくらいでいたい。両足に均等に体重をかけて、前に重心をおいた。さあ、やるならやれよ、と心を決めた。 「なあ……」 高瀬が一歩一歩僕に近づく。しゅっと音がして腕が僕の方に延びてきた。 思わず目をつぶった。 かっこわるい。 しかし、高瀬の腕はそのまま僕の肩を抱き、 「一緒に帰ろうぜ!」 予想外の言葉に耳をうたがった。 なにがなんだかわからないまま高瀬たちに連れられて一緒に帰ることになった。僕の家と彼らの家は正反対で、家からどんどん遠ざかっていく。 こいつらはなにがしたいんだ?と様子を伺うが、僕になにかすることもなく、ただ昨日のバラエティーや新作ゲームの攻略方法を話しているだけだった。僕は彼らの後ろ姿をにらみつけながら、それでも「僕の家はこっちだから」とか「そろそろ帰らなきゃ」とか言えるわけもなく、黙ってついていった。 彼らはずんずん歩いていく。小学校の校区は端から端まで歩いてもこどもの足で30分もかからない。もう、どれくらい歩いたろうか。周囲を見回しても知らない建物ばかりだ。子どもだけで校区外に出るのは禁止なのに。 大きな通りに出た。車がびゅんびゅん通っている。四つ角の横断歩道の手前で 「じゃあ俺ら今から塾だから!またな!」 高瀬たちは駆け出した。あいつら、学校帰りに家によることなく塾にまで行っているのか。それも小学校の決まりを破っている。一度家に帰らないとおうちの人が心配するから、ランドセルを家に置いてから出掛けること。と、一年生の頃から言われていたはずなのに。 そういう決まりや約束をきっちり守るタイプの僕は、初めて一人で校区外に来てしまったことを悟った。 同時に 「……どうやって帰ろう」 自分が方向音痴だということも。 高瀬たちと別れた四つ角の標識を見ると、電車の駅名にもなっている文字が目にはいった。 二駅ぶんくらい歩いたようだ。 修学旅行で迷子になったことを思い出す。あの時同じ班だったのは百道と神埼だった。だから、こんな意地悪を思い付いたのだな、と容易に想像がついた。 いつも車か電車でしか通らないので歩いて帰る道がわからない。 すっかり日も傾いてしまった。 母さん心配しているだろうな、と思うと鼻の奥からしょっぱいものが込み上げる。足元にはバカみたいに伸びきったかげが、黙ってくっついているだけだ。 しばらく歩くと曲がり道についた。ここを曲がったような気がする。ええと、さっきは右に曲がったから、帰りは左に曲がればいいのか?いや、それとも右だったか? 右に行こうとすると、くん、と体を誰かに引かれた気がした。後ろを振り返っても誰もいない。気のせいかと右に進もうとすれば、今度は先程までよりも力強く引かれる。足がその場から動かず、しりもちをついた。 カーカー、とからすが頭上で鳴く。 泣きたいのは僕の方だ。と言いたいのをこらえて、ふと、視線の端に映ったものを確認する。 それは、左だと必死に指を指す、僕のかげだった。 立ちあがりじっとそいつを見下ろす。動いているのは久しぶりに見た。 かげは、ひたすらに左側を指差している。そっちに行けということなのか。 確認のために右に行こうとすると、今度はかげがその場に手を伸ばし、地面をつかんだ。その衝撃で僕は動けなくなる。 「左……なのか?」 僕の声は聞こえないのか、かげはそれでも左だけを指差している。 両手でこっちだと伝えてくる姿が必死でおかしくて、笑みがこぼれた。 「わかった、そっちにいくよ」 僕はかげに従うことにした。 曲がり道につくたび、かげは方向を指し示した。僕は方向音痴なのに、かげはそうでもないようだ。言う通りに右に曲がり左に曲がり、まっすぐ進みふたたび左に曲がると、見覚えのある町並みが見えてきた。 ここからならわかる…… ほっとした。 「おいおい、まだ帰れてなかったのかよ!」 高瀬たちの声がした。塾帰りの彼らは僕が迷っている間に塾を終わらせて、さっさと帰ってきていたのだ。 「やっぱり方向音痴って噂は、ほんとうだったんだな!」 ぎゃはは!と下品な笑い声が響いた。 瞬間、その声は悲鳴に変わった。 僕には、自分の後ろから黒くて鋭い何かが突っ込んで来たように見えた。犬かとも思ったが、そこにはなにもいない。 ただ、何かに襲われて地面に倒れる高瀬たちがいるだけだ。彼らは何かに怯え、わなわなと震わせながら指を差す。 その指に向かってふたたび黒い塊が襲った。 ぎゃあ!とつんざく悲鳴がこだました時、それは僕のかげなのだと悟った。 かげは僕の足元からぐんとのびて、高瀬たちを襲っていた。僕の手の指に当たる部分を鋭く揃えて、彼らの腹を狙うと、あっけなく地面から動かなくなった。 それを見た僕は、なにも言わずに立ち去ることにした。 後ろから、ばけものー!と叫ぶ声が聞こえた。 ようやく分かった道を歩く。次第に太陽はしずみ、それにつれてゆっくりとかげは消えていった。 その日から僕は極力、日陰を歩いた。 高瀬たちは学校で僕に会うたびに「ばけもの!」と騒ぐが、誰もそんなことは信じない。かげを出さないように気をつけているし、僕がしっかりしていればこいつはなにもしない。 僕は、バケモノを飼っている。 黒くて僕にそっくりのバケモノを。
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