砂の記憶

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砂の記憶

   小さな展示室はひっそりとして、見に来ているのは私ひとりだった。展示棚の中には、ガラス細工と美しい砂の色彩とが融合した見事な砂時計が、制作年月順に並んでいる。ベネチアでの修行を終え、長岡市に工房を構えてからの作品が展示さてれいるようだ。  石賀未愛は20年前、中2の春にここ仙台に鳥取からの転校生としてやって来た。六月の校庭でナツツバキを砂に変えたあの日を境に、電話も通じなくなり、行方が分からなかった。まさか新潟の大学からベネチアへと、職人の道を歩んでいたとは。生まれ育った仙台で就職し、そのまま地元で結婚し、一生地元を出ないだろう私には、想像もつかない半生だ。  展示棚の前の数か所に液晶のパネルがあり、それぞれの作品の流れる砂の動きを動画で見ることができるようになっていた。さっきから相変わらず妙に元気にお腹を蹴るわが子を撫でながら、私はゆったりと順路を巡る。                                *   「人魚」(2017.10) 宙吹き、エナメル彩・金彩  いちばん入口に近い、独立した展示ケースの中の「人魚」と名付けられたその作品は、きらめく漁火のように赤い砂をたたえた砂時計だった。薄い暗灰色の色グラスの表面には、白と金の絵筆で貝や魚や海草が描かれている。  ―未愛は初めてクラスに現れたときから、いつも紺色の手袋をはめていた。いつも一人で教室の隅の席でぽつんと座り、若草色のブックカバーをかけた文庫本を読んでいた。  人魚のお話、とカバーを外して見せてくれたのは、放課後の教室で私が思い切って未愛に話しかけたときのことだ。20年間忘れ去っていた「赤い蝋燭と人魚」というその本のタイトルを、私は鮮明に思い出した。 「童話がたくさん入ってるけど、いちばんさいしょの人魚のお話しか読んでないの。海岸の小さな町の、蝋燭屋さんのおじいさんとおばあさんに育てられた人魚の女の子のお話。短いお話なのに、毎日毎日。もう何百回読んでるのかな。変でしょ。」  そう言って未愛はにっこりと笑っていた。 「そのお話が好きなの?」  私が聞くと、未愛は途端に真顔になって、吐き捨てるように言った。 「知らない。嫌いかもしれない。」 「……きら、い?」 私は混乱していた。当然、好きだから読むのだろうと決めつけていたから。 「でも、すぐに読みたくなる。駒浦の海を思い出せるからずっと読んでる。大切な本なの。」  驚くほど低く冷たい声だった。14歳の私がそのあと何と答えたのかまでは思い出せない。―私は「人魚」の前を通り過ぎた。記憶がつぎつぎに蘇っては脳裡に浮かんでくる。                * 「駒浦の海」(2018.3) 宙吹き、レースグラス・金彩  吹雪の海のような作品だ。目眩のするようなレースの波間に、金彩の雪片が襲い掛かって埋め尽くす。封じ込めた砂は薄い灰色、未愛の瞳と同じ色。  鳥取の、駒浦の海がまた見たいなと未愛が言ったのは、連休前の四月の終わりだった。それなら海を見に行こうと私が誘って、連休の初日に二人で海沿いを走る電車に乗った。その日はよく晴れ、青い海が春の陽光に輝いていた。 「きれいだけど、やっぱり違うなあ。私が恋しいのは灰色の海なんだ。」  未愛は海を眺めながらぽつんと呟いた。気まぐれに降りたその駅は小さな無人駅で、ホームには私たち二人のほかには誰もいなかった。私と未愛は色の褪せた水色のベンチに腰かけていた。 「そうなんだ。いつか帰れるといいね。」  私が何気なく答えると、未愛はさみしそうに俯いた。 「ううん、もう無理なんだ。私、あそこにはもう戻れない。私、駒浦から逃げて来たから。」 「え?」  「私さ、駒浦で小4のときね、砂にしちゃったんだ、自分のお父さんとお母さんを。」   クラスではやっていた交換ノートに嫌いな子の悪口を書いていたら母親に見られて取り上げられた。取り返そうとして泣きながら母親にすがりついたら、母親は未愛の手の中でさらさらと崩れて砂の塊になってしまった、驚いて近づいてきた父親をとっさに突き飛ばそうとしたら、父親も砂になってしまった、そのときは自分でも何が起きたのか分からなかったと、未愛は淡々と語った。両親が失踪したらしいと、すぐに噂が広まって、駒浦に居られなくなった。母方の祖父母の暮らす仙台に越すことになり、小5から中2までは学校に通わずに祖父母と暮らしながら仙台の研究施設に通い、3年かけて力の制御を覚えた、と教えてくれた。  駒浦は恋しいけれど、こうして紅子と友だちになれた、とても嬉しいと未愛は言った。私はそのとき、不安と動揺を隠してきちんと、私も未愛に会えて嬉しい、と答えられていただろうか。   「このこと誰にも言わないでね。紅子と私だけの秘密だから。」  苦しそうにこちらを見つめる未愛の灰色の瞳。こうこ、と私の名前を呼ぶ声が右耳の鼓膜にくっきりと蘇って、またすぐに消えた。                   * 「帰り道」(2018.5) 宙吹き、モザイクグラス    かわいらしい金太郎飴のようなガラスのビーズを溶かしこんだ、ひょうたん型の砂時計。鮮やかなビーズに彩られたガラスの中には、春の日だまりを思わせるたんぽぽ色の砂が籠められていた。  五月の終わり、私と同じ美術部に入った未愛との帰り道で、私はこれと同じ色の砂を見た。そっと手袋をはずした未愛の手は白く、大理石のように滑らかで、私はじっとその手に見とれていた。   「ほら、ね。砂になるんだ。」  未愛が道端のたんぽぽを手折ってふっと息を吹きかけると、それはみるみるうちに黄色と草色の美しい粉になり、春風にさらさらと流れて地面に消えた。 驚いて言葉を失う私に、未愛はたしかにあのとき教えてくれた。将来はきれいな砂時計を作る職人になりたいと。  ―この「帰り道」という作品は、もしかするとそのときの記憶を砂時計にしたものだろうか?いや、まさか、私のことなど覚えてくれているのだろうか。                   *  疲労が溜まり、私は順路に従ってどんどん進んだ。これはと思ったところで少し立ち止まり、またすぐに進む。小さい展示室だと思ったが、歩くと案外、長い。砂とガラスの迷宮に迷い込んだような感覚に襲われる。  「出口→」の立て札を見つけたときには、ああ、やっとだ、という気持ちだった。順路の最後には、ひときわ大きな展示ケースが見える。あの展示をじっくり見たら、今日はもう家に帰ろう。                 * 「Il Mostro di giugno」(2018.6)  宙吹き、型吹き、エナメル彩・金彩・溶着装飾  最後の展示ケースに入っていたのは、柱時計ほどもある大きな砂時計だった。白と金の流れるような縞と渦に、翡翠色の無数の欠片が風に散る青葉となって一面に溶着されている。籠められた砂は初夏の空に似た青い色をしていた。  タイトルが分からない。イタリア語だろうか。ポケットからスマホを出し、翻訳サイトを開いて、私はキャプションの文字の列を入力した。 伊[Il Mostro di giugno]=和「六月の怪物」  展示ケースの前の液晶ディスプレイの中に、反転されたガラスの柱の中を流れる青い砂が見えた。流れる白と翡翠の美しい光が見えた。―この作品はあの六月の日のナツツバキだ。  いつも手袋をはめている未愛をからかおうと、校門で待ち伏せしていた生徒たちが、その日はいたのだ。未愛の白い両手が六月の陽光に照らされていた。後ろから乱暴に押されて、学校のシンボルだった校門のナツツバキの大木にその両手が触れると、木はさらさらと崩れて白と翡翠のきらめく砂となった。時が止まったように誰もが凍りついていた、六月の、初夏の光景。                  *    
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