美術館

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石賀 未愛  Mia Ishiga (1984-) 鳥取県生まれ 新潟造形大学卒業後、ベネチア市のムラーノ島にて吹きガラスの修業を開始。2012年からの5年間は、ムラーノ島のガラス職人Gabriele Barovier氏の工房に入り、同氏に師事。現在は新潟県長岡市に自身の工房を構え、砂時計職人として制作を続けている。  妊婦健診の帰りに寄り道した美術館の特別展の入口で、私は思わず息をのんだ。私と同じ1984年生まれというその女性の名前を、私は知っていた。心の奥に閉じ込めていた氷の華が音をたてて溶けはじめ、記憶の扉を決壊させてゆく。  20年前、14才の少女だった私は六月の校庭にいた。真っ白な花を咲かせたナツツバキの大木がさらさらと砂になって崩れていく景色と、クラスメイトの「ばけもの!」という悲鳴と、白に翡翠にきらめく砂を浴びて校門の前に立ち尽くす石賀未愛の灰色の瞳を、なぜ今まで忘れていたのだろう。  春風とともにやってきて、六月のあの日をさいごに、また風のようにすぐにいなくなってしまった。鳥取の海の見える町で生まれたと言っていた。灰色の海が恋しいと言っていた。いつも本を読んでいた、黒い髪と灰色の瞳の少女。  学校の帰り道、たんぽぽの花を摘み、春の色の美しい砂に変えてみせてくれた。唇に指をあて、ひみつだよと囁いて微笑んでいた。  私は受付で特別展のチケットを買った。  大きな胎動を感じたので、膨らみ始めたお腹をコートの上から撫でた。エコー検査でたぶん女の子ですねと言われている小さな命は、なんどもなんどもお腹の壁を蹴ってくる。こんなに激しい胎動ははじめてなのですこし驚く。でも、お腹が張ってきたわけでもなくて、ただの胎動なのだ。今はそれよりも、早く石賀未愛の作品を見たい。胸の高鳴りを感じながら、私は展示室へと続く大理石の廊下を急いだ。 
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