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毎朝、朝礼が始まる前に皆で清掃を行うのが会社の方針だった。
ぼくは主に、玄関の清掃を担当していたが、同じ玄関でも内側と外側では空気に雲泥の差があった。
夏の日差しはとても眩しかった。
暑くて、気付けば汗だくになるようなものだったが、あの薄暗い空間よりも、ずうっと良いものに思えた。
ホウキで掃いて、窓ガラスを水拭きすれば、一見キレイになったようにみえる。
しかし、何度掃除をしても、まとわりつくような黒い煙が薄れることも、ましてや消えてくれることなんてなかった。
その訪問客を迎える為の入り口は、ひどく閑散としているように思えた。
申し訳程度の小さな花瓶があって、一輪の花が玄関の前には、長い一本の廊下が広がっていた。
その廊下には、さして有名でもない画家の絵が、四十センチ程の間隔で数十枚、飾ってあった。
社長が懇意にしているらしい、地元の名もない画家の絵。
それを見て、素敵ですねそう愛想笑いした記憶はまだ新しかった。
その絵は、人物でも風景でもない、暖色の、いや、寒色もあっただろうか。
明るくも優しくも暗くもない色で、キャンパスが塗りつぶされていた。
それは、他にも一階の工場と二階の事務所を繋ぐ螺旋階段に、そして二階の休憩室にも数枚ずつ飾ってある。
ぼくはその階段を通る時、どこかで聞いた話を思い出す。
それは、どこで聞いたものだったのか。何かで読んだ言葉だったのか。
人物の写真を向かい合わせに、その視線が互いに交わるように飾ると、そこに霊道ができるなんて、そんな話だったと思う。
不思議なものだ。
目の前にあるのは、誰かの写真でもなければ、人物画でもないというのに。
何故、そのような話を思い出すのか。
人の記憶、いや、海馬の仕組みを詳しく説明などできない僕は、時々考える。
何故、人間は悪い出来事ばかり覚えているのだろうかと。
もっと楽しかったことを思い出せば良いのに。
連想ゲームで辿りつく先は、いつも嫌な記憶だ。
忘れてしまえばよい筈の出来事は、どこかに捨て置きたい。
最近、よく話が前後してしまうことが多々ある。
先日、先輩にも注意されたばかりだろう。
借りたものは、すぐに返せと。
もし、借りた本人が必要な事態になったらどうするのだと。そう言われた。
先輩から借りたファイルを、電話で応対をする合間に書き写していた。
そうか、確かに三十分以上は経過していただろう。
確かに、そういうのはよくなかったのかもしれない。
たしかに、駄目だったのかもしれない。自分が、悪かったのだろう。
「――さん」
ハッとした。
隣を見ると、同期の由宇さんの姿。
彼女は、販売職を希望していたのだが、実際に配属されたのは僕と同じ、ここだった。
襟足が見えるぐらいの短いショートカットがよく似合う、いつも微笑みを浮かべている控え目な優しい子だった。
彼女との付き合いは、入社前の懇談会からであったが、良い子だなと思っていた。
もっと、話をしてみたかった。
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