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その日、祖母は言った。
「わたしの心臓、――ちゃんにあげる」と。
確かにそう言ったのだ。
心臓をあげる、とはどういうことなのだろう。
自宅のリビングに、突然現れた祖母にぼくは尋ねる。
二、三年は会っていなかったように思う。
ぼくは仕事が忙しかったから、まだ仕事をしていた頃だったから。
忙しい、そんなものは、社会人振りたいだけのことで。
本音を言えば、体調が崩れきっていたから。
誰かになんて会いたくない。ただそれだけのことだった。
人と話すのは、心底疲れる。
誰か話を聴くことも、自分の話を聞いてもらうことも。
結果論は、どちらも疲れる。その一言に尽きる。
誰かの問いに馬鹿正直に、ひとつひとつ丁寧に答えることほど、必死に言葉を紡ごうとすることに何の価値もない。
損をするのは相手ではない。
頑張ってがんばって話して、ある種の損に似たような、なんともすっとはしない胸のツカエを感じるのは自分なのだと、そんな当たり前のことに気付いたのは、ずうっと先のことだった。
もっと明るい服を着れば良いのよ。
そしたら、少しはその顔だって明るくなる。
人間、笑っていれば楽しい。人間、生きているだけで楽しい。
そんな戯言を言ったアルバイト先の老婆は、周囲の迷惑など顧みずに我が道を生きている、先生と呼ばれる職に就いている人間だった。
人間、生きてるだけで楽しい。人間、生きてるだけで疲れる。
文節ごとにゆっくりと区切って、にっこり笑ってそう言ってやった時の、あの人の顔と言ったら。
母が言う。祖母が毎日のように小言を言っているらしい。
実際にその姿を見たわけではないが、祖父が呆れ顔で話していたから。そうなのだろう。
「――ちゃん、――が元気じゃない、どうしてくれんだ」と。
酷い言いがかりだろうに、同時にそう言わせてしまっているのは他でもないのは自身なのだと、分かってはいるけれども。
祖母にも母にも明らかに要らぬ心配をかけてしまっている。
これはぼくの両手に包み込める程の大きさで、罪悪感なのだろう。
帰省シーズンでもなければ、移動費だってこの遠出で馬鹿にならない。
連絡もなしの突然の来訪に驚きはしたものの、祖母の顔が見られて嬉しい。
せめてもてなそうと、キッチンにお茶を取りに行こうとぼくは彼女の手を引いた。
二十五歳のぼくとそう年も変わりなく見える祖母は、握っていたぼくの手を引き寄せたぼくの手を掴み、そのまま自身の胸の上に、ぽんっとのせる。
それは乳房特有の柔らかさよりも、祖母の突発的と言っても過言ではないその行動に驚いてしまった。
慌てて手を引こうとするが、それは叶わなかった。
おばあちゃん、はなしてよ。
茶化すように笑って、何も気にしてないように。と、そういう風に振る舞うが、祖母は無言のままで、表情も見えなかった。
……え?
そうしてようやく出てきた言葉と言えば、
「ようちゃんに、おばあちゃんの心臓あげる」
わかったのは、その言葉から伝わってきたやさしさみたいなもの。
なんだよ、心臓あげるって。
祖母の胸に左手を置いたまま、その上に重ねられた祖母の手はきっとあたたかく。おそらく手のシワだってなかった。
久々に会った祖母は、ぼくが毎日顔を合わせていた幼い頃よりも、ずっと容姿が若かったから、ぼくは妙にどきどきしたのだった。
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