<第二十五話・叫喚>

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 ***  ああ、自分は今夢と現実の境にいるのだ。由羅はなんとなくそれを悟った。意識がふわふわしている。酷く眠い。しかし、左腕がずきずきと痛むことと――頬にあたる風が気持ち良いこと、そして背中を支える誰かの腕があることだけはよく分かる。 ――ああ、今。私はひとりじゃ、ないんだ。  誰かが、傍にいる。それも、温かな体温を持った誰かが。  それを実感するだけで胸の奥が熱くなった。こんな風に、誰かに寄り添ってもらえたのはどれだけぶりだろう。地獄のような地下から生還し、どうにか日常に戻ってきた由羅に対して――母が言い放った一言を今でも忘れることができない。 『ああ、なんだ……大怪我したわけじゃないのね。たいしたことないなら良かったわ。なんだ、それなら商談をキャンセルして慌てて帰ってくる必要もなかったじゃない』  彼女にとって、一番大切なものは仕事。そして、それにより評価される自分自身だけなのだ。  とっくにわかっていたし、諦めていたつもりだった。それでも、彼女の言葉に酷く傷ついた己がいたことに驚いたのである。まだ、自分は母に何かを期待していたのだと知った瞬間だった。――彼女はそのままトンボ返りで海外に戻ってしまい、自分の頭を撫でることも抱きしめることもしてくれなかった。体の傷は大したことなどなくても、心は血だらけで死にかけていたというのに。  いつも自分を見てくれたのは、優しかった兄だけ。その兄も、妹が思春期を迎える頃には接触を控えるようになっていた。配慮してくれた結果であったのだろう。しかし親の愛情に飢えていた由羅としては、兄がそうやって距離を取ってくることさえも寂しくてならなかったのである。  幼い自分は、もっと家族を知りたいと泣き続けている。  それがもう二度と与えられないものだとわかっていても、諦めることができずにいたのだ。――そう、だからだろう。今こんなにも安心し、声を上げて泣きたいような気持ちになるのは。  傍にいてくれる人が誰であるのか、自分はよく知っている。その人がたとえ“人”でなくても――彼を愛している己のことも含めて。 「眠っていなさい、見ない方がいいものもありますから」  風を切る音、何かの鳴き声――ゆっくりと、何かの乗り物で運ばれているらしいことを悟る。それを知りたい気持ちもあったが、今は眠気が優っていた。優しい声に、由羅はこくりと頷いて、再び睡魔に身を任せることに決める。  彼がそうした方がいいというのなら。眠っておいた方がいいならば、きっとそれが正しいのだろう。自分は安心して、身を任せても大丈夫なのだろう。何故だか確信に近くそう思うのだ。 ――おやすみなさい、澪さん……。  何故こんな状況になったのか、よく思い出せないけれど。今は考えるのもあとにしようと、そう心に決めるのである。  彼はけして、自分との約束を違えない。違えなかったから、此処にいてくれるのだ。  由羅は思うのである。それが分かるなら、自分にはもう他に何も要らない、と。
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