第45話 幽霊の正体

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「もしワタナベさんがゴーストだったとしても……新型の《アニムス抑制剤》の治験に関わっていたとは限らないだろう……!」 「そいつはウチの『情報局』が解析済みだよ。詳しくは明かせないけど、こいつが元売り組織の沖田や、外部のある多国籍製薬会社の人間と頻繁(ひんぱん)に連絡を取り合っていたのは間違いない」  流星はタブレットを指先で持ち上げ、振って見せる。ワタナベがよく使っていたボードタイプの旧式タブレットだ。  ワタナベが腕輪型端末を使わず、なぜ旧式のタブレットを使うのだろうと不思議に思ったので、よく覚えていたのだ。  流星の主張はまったく根拠がないわけでもないのだろう。  石蕗は目頭(めがしら)を右手で抑えつつ、なおも反論する。 「《死刑執行リスト》はどうなった? いかに《死刑執行人(リーパー)》といえども、《リスト登録》も無しにゴーストを殺すなど、あってはならないことだよな?」  《死刑執行リスト》はこの街にいる者なら誰でも閲覧(えつらん)できる。麗も実際、よく確認していた。危険人物が身近にいるかどうかの情報収集は、この街で生きる上で必須なのだ。  だが、ワタナベは《リスト登録》されていなかった。少なくとも昨日の夜、確認した時点では。  流星が言った通り、ワタナベの活動が秘密裏の情報収集であるなら、《リスト登録》はかなり難しいのではないか。ワタナベは本当に《リスト登録》されていたのだろうか。  すると流星はカウンターから腰を上げ、麗の顔を覗きこんだ。まるで獲物を見つけた肉食獣が、草木にまぎれて風下から草食動物へ接近するかのように。 「先生、相手は外部の多国籍製薬会社だ。《監獄都市》から出られない俺たちには手の届かない相手なんだ。向こうは俺たちがどれだけ騒ごうが苦しもうが、痛いとも痒いとも思っていない。だから……これは見せしめだ。《監獄都市》に手を出す奴は外部の人間でも絶対に許さない。自らの利益のために巧妙な手口でこの街の秩序を崩壊させるというなら、たとえ《リスト入り》していなくても『強制排除』する。それがウチの方針だ」 「それは東雲六道(しののめりくどう)も承知のことなのだな?」 「ああ、もちろん」 「……。何故、これを私に見せた?」 「……」  無言を返す流星の顔を麗は「きっ」と睨みつける。 「『タイミングが悪すぎる』? そんなはずがない。お前たちがそんなヘマを侵すなど考えられない。お前たちは最初から私がここに来るのを待っていたのだろう? この光景を私に見せるために……‼」  先ほど流星は言った。これは見せしめだと。では、いったい誰に対する見せしめなのか。  ワタナベの無残な死を誰に見せたかったのか。それは他ならぬ麗本人にではないのか。   麗がそれを指摘するや否や、流星の瞳にこれまでにないほどの凶暴で凶悪な光が浮かび上がる。暗がりに潜む獣のように煌々(こうこう)と光を反射する眼球。  麗の背筋にぞくりと悪寒が走る。目の前ににいるのは残虐な殺戮者の目だ。  流星も奈落も何も武器を手にしてはいないが、二人から放たれる殺気は、もはや首筋に突きつけられた鋭利な凶器も同然だ。  真正面から殺気を容赦なく浴びせかけられて、麗は生きた心地がしなかった。  じっとりと汗をかき、全身を硬直させる麗に、流星はやけに鷹揚な口調で囁きかける。 「先生……先生はこの街に必要な人材だ。仕事には熱意があるし、技術もあり、何よりみな先生を信頼している。……もちろん先生には先生の事情があるんだろう。でも、くれぐれも俺たちを裏切るような真似はしないでもらいたい。でなければ、たとえ先生が人間だったとしても俺たちは《死刑執行人(リーパー)》として先生を追わなければならなくなる。それは、できれば避けたい未来だ……分かってもらえるかな?」 「……それは脅しか?」  「まさか……お・願・い、だよ、先生。俺たちは今まで通り、先生と穏便(おんびん)にやっていきたいと思っている。でも、それはあくまで先生次第だ。先生が何者で、どういった奴らとつるもうが俺たちは詮索(せんさく)しない。ただ、この街にはこの街のやり方があるってことだけを、しっかりと『お友達』に伝えておいてくれ」 「………」  心臓を冷やりとした手で撫でられたような戦慄が走った。喉元まで出かかった悲鳴を麗は必死で肺の奥に押し戻す。  『お友達』という言葉が誰のことを指しているのか、麗にはすぐに分かったからだ。  流星たち《東雲探偵事務所》はどこまで知っているのだろう。麗たちのことをどこまで把握しているのか。  いや、落ち着け。いくら彼らが《監獄都市》で名を馳せている《死刑執行人(リーパー)》だといっても、《壁》の外の事情まで把握しているはずはない。さすがに漠然とした情報のみで殺したりはしないだろう。  少なくとも麗はワタナベの件とは無関係なのだ。ここはシラを切り通すべきだ。  麗は素早くそう判断する。  石蕗は痙れんしそうな気道に強引に空気を送りこみ、深呼吸をする。しばらく流星と奈落を睨み据えていたが、やがて大仰に溜め息をつくと乱暴に口を開いた。 「……お前たちがワタナベさんを殺したせいで、診療所に必要な医薬品がさらに入手困難になった。新たな流通ルートを開拓するのはさぞや難航するだろう。かかった手間の経費は、お前たちの事務所に請求するからな! 覚えていろよ‼」  それだけ一気に吐き捨てると、石蕗(つわぶき)は荒々しい足取りで薬局を後にする。背後を振り返りもせずに雑居ビルの脇に設けられたエレベーターに飛び込むと、そのまま開閉ボタンの『閉』を力いっぱい連打した。  一瞬、《死刑執行人(リーパー)》の二人が追ってくるのではないかと冷やりとしたものの、誰も麗のあとを追ってこなかった。  重厚な鉄の扉が閉まった途端、麗はその場で膝から崩れ落ちてしまう。 (……ジョシュアには当分、《監獄都市》へは近づかないよう言っておく必要があるな……)  流星の言っていた『お友達』というのは、間違いなくアメリカ人の上司、ジョシュアのことだ。計画が明るみに出たら―――ジョシュアが《監獄都市》で企んでいることを悟られたら、麗は東雲探偵事務所の《死刑執行人(リーパー)》に八つ裂きにされてしまうだろう。  そう。見せしめに殺された薬剤師ワタナベのように。  カウンターにうつ伏せになったワタナベの姿を思い出し、今さらのように体がカタカタと震えを帯びてくる。《死刑執行人(リーパー)》と敵対する可能性は考えてはいたものの、まさかこんなに早く目をつけられてしまうなんて。  だが、たとえ《死刑執行人(リーパー)》と対立することになっても諦めるわけにはいかない。  長年、探し求めた答えはもう目の前にある。  雨宮シリーズの六番目の《レナトゥス》―――それを手に入れるまでは、何としてでも診療所の医師『石蕗麗』を演じきらなければならないのだ。
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