第45話 幽霊の正体

4/4
57人が本棚に入れています
本棚に追加
/121ページ
 一方、主が不在となった薬局では、奈落がどこか面白がるような視線を麗の後姿に送っていた。  奈落は流星と麗の会話にほとんど参加しなかったし、口を出すつもりもなかったが、啖呵(たんか)を切って店を後にした麗の根性はいたく気に入ったものらしい。 「……いい女だ」 「まあ、さすがと言うべきか肝は据わってるよ」  あれだけ脅せば少しくらいはボロを出すかと思っていたが、麗はボロを出すどころか喧嘩腰に反論し、威勢よく捨て台詞まで吐いていったのだ。  『敵』とまだ決まったわけではないが、怪しいなりに見事というほかない。  小さく溜め息をつく流星を、奈落は左目だけを動かして眺め、尋ねてくる。 「このまま帰していいのか?」 「先生の言う通り、この《監獄都市》で医療従事者は貴重だからな。先生は自分の価値をよく分かっているよ」  できるなら手を出したくはない。流星のそんな本音を麗に見透かされていたのかもしれない。そうでなければアニムスを持たぬ普通の人間に、あれほど豪胆(ごうたん)な振る舞いができるだろうか。  それが事実なら流星の落ち度だが、それでも麗の後を追いかけようという気にはなれなかった。むしろ上手く逃げてくれてほっとしている自分がいる。  そう感じてしまうのは、まだ自分に甘さが残っているせいか―――分からない。  ともかく、あれほど脅かしたのだ。多少の牽制(けんせい)にはなっただろう。  今はそれで十分だ。  流星は奈落に向かって薬局の裏口へと目配せする。目的を果たした以上、こんなところに長居は無用だ。  身を(ひるがえ)して裏口へ向かう奈落に、流星は話を続ける。 「先生と繋がっている連中は《|Ciel 《シエル》》を拡散させた多国籍製薬会社とは別口だが、何を企んでいるかは今のところはっきりしていない。しばらく泳がせておいたほうがいいだろう……それが所長の判断だ」  奈落は隻眼をわずかにこちらへ向けると、低い声で応じた。 「……どうも腑に落ちないな。……薄気味が悪い」 「ああ……《監獄都市》のあちこちで何かが少しずつ起こりはじめている。今のところバラバラだが、何となくどこかで一本の線に繋がっているような気もするんだよな……」  その繋がった線の先に何があるのか、今はまだ分からない。ただ一つ分かっているのは、この《監獄都市》に外部勢力がかなり紛れ込んでいるということだ。  それはワタナベの背後にいる勢力だけではない。いったいどれだけの勢力が、何のために《監獄都市》で(うごめ)いているのか。  《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》といった内部勢力の動きと同様に、外部勢力の動向も注視していく必要がある。  薬局の裏口から細い路地に出てから、それを伝って大きな路地にたどり着いた時だった。  腕輪型端末に着信があり、ウサギのマスコット―――マリアが出現する。 「お二人さん、おっ疲れ~!」 「マリア、深雪と神狼はどうなった?」  流星は気がかりだったことを真っ先に尋ねると、マリアはぐっと右手の親指を立てるジェスチャーをする。 「無事に《中立地帯》まで戻ってきたわよ。深雪っちはそのままリム医師の診療所に向かって、神狼は開店準備のために《龍々亭》に戻ったわ」 「分かった。あとで《新八洲(しんやしま)特区》で何があったか報告してくれ」 「りょーかーい! さてと、まだいろいろ残ってるけど、これで薬物事件はとりあえず終了ね。お疲れちゃーん」  のん気なマリアの言葉に流星はどっと疲労を覚えた。  確かにこれで《天国系薬物》の事件は終わった。元売り組織は壊滅し、しばらく薬物の拡散も沈静化するだろう。もっとも、これで完全に終わったとは言い切れない。外部勢力の動き次第では、再びこの街が薬物地獄に陥る可能性も十分に残されている。  何がきっかけで、この街の危うい均衡が崩されるのか。それを見極めるのはますます難しくなっている。そして事が表面化した時には手遅れになっているのだ。  だが、とりあえず今回の事件は終わった。ようやく終わったのだ。 「ぅあー! これでようやくゆっくり眠れるわー……‼」  流星が伸びをしながら思わず呻くように漏らすと、奈落が珍しく半眼で突っこんできた。 「寝てどうする!? まずは酒だろ!」 「いや、そんな元気ねーし! もうマジ無理‼」  すると今度はマリアが緊張感の欠落した口調でつけ足した。 「でも大抵(たいてい)、明日にはまた何か事件が起こってたりするのよねー」 「あのなあ……束の間の解放感、ぶち壊すようなこと言ってんじゃねーよ!」  そう軽口を叩き合っていると遠くから誰かの悲鳴が聞こえてきた。次いで怒声と喚き声。薬局の方角からだ。  ワタナベの死が周辺住民に露見(ろけん)したのだろう。思ったより早かった。あんなうさん臭い薬局でも、地元住民には愛用されていたのかもしれない。  流星はそれを無表情に聞き流すと(きびす)を返す。 「……さてと。行くか」  流星と奈落はゆっくりと歩き出す。その後ろから次第に薬局の周辺が大騒ぎになっていくのが、どこか他人事のように聞こえてきた。
/121ページ

最初のコメントを投稿しよう!