60人が本棚に入れています
本棚に追加
その時、火矛威の足がソファーに当たったはずみでリモコンが床に落下し、壁のパネルに映像が映し出された。
ちょうど情報番組をやっていたらしく、画面の中では女性アナウンサーと男性コメンテーターがやり取りを繰り広げていた。
まず口を開いたのは、はきはきとした口調の女性アナウンサーだ。
「ご覧いただいているのは先週起きたゴースト犯罪の映像です。容疑者……と言っていいのでしょうか。事件を起こしたゴーストらしき女性が暴れている様子がはっきり映し出されていますね。この事件で男女六人が重軽傷、騒ぎに驚いた八十代の女性一人が転倒し骨折するという、たいへん痛ましい結果となってしまいました」
アナウンサーの説明とともに、閑静な住宅街で突然竜巻が起ったかのように、建物や電柱が薙ぎ倒されていく動画が映し出される。その中心にいるのは髪を振り乱し、錯乱したような二十歳ほどの女性だ。その顔にはモザイクすらかけられず、女性の血走ったような赤い眼をカメラは幾度となく捉えていた。
続いていかにも大学教授といった風貌の男性コメンテーターが、のんびりした口調で解説を加えていく。
「……ええ。まさに恐れていた事態が起きてしまった、と言っていいと思います。今までも全国でこういった事例はいくつか報告されていましたが、今回は東京ですからね。人口の密集した住宅街ということもあって、被害は相当深刻だと思います」
それを聞いた女性アナウンサーは芝居がかった仕草で、遺憾だと言わんばかりの沈痛そうな顔をして見せる。
「先生はゴースト研究の専門家でいらっしゃるということですが、ゴーストと呼ばれる人々の何が問題なのでしょうか」
「まずは彼らが人知を超えた現象を起こす、という点ですね。今回の事件では機動隊が速やかに容疑者を制圧し、奇跡的に死者は出なかったわけですが、これからは警察の手に負えない事件も当然、起きてくると思います」
「そうですね。すでにアメリカやヨーロッパでは軍隊が出動したという例もあります。今後、日本もそういった対応をとっていくべきなのでしょうか」
「もちろんです。被害が大きくなってからでは手遅れですからね。……ただ、問題はそれだけではありません。ゴーストには人格形成に問題がある社会不適応者が多いそうです。だから些細なことでキレて、暴れ出してしまうのです。実際、イギリスの某大学ではゴーストと指定された人々の脳を調査した結果、およそ七割に前頭葉に何らかの異常が見つかったとの報告もあり………」
ゴーストを扱った番組だからか、気づけば深雪たちは食い入るようにして映像を見つめていた。やがて真澄がポツリとつぶやく。
「……多いよね、最近。こういう番組」
その横顔には不安と脅えの色が滲んでいた。火矛威も眉間にしわを寄せると不機嫌もあらわに吐き捨てる。
「ムカつくぜ……ホントにこのジジイ、専門家なんだろうな!? ゴースト研究してるってんなら、まず俺らに直接会いに来いっての‼」
「……押さえろ、火矛威」
深雪が低い声でなだめると、火矛威は声を荒げて反論する。
「だってよ‼」
「こんな番組、見なきゃいいだけだ。マスコミがこうやって不安を煽るのはいつものことだ。それでメシを食っているんだからな。明日にはどうせ違うネタで騒ぐに決まってる……いちいち相手にしてたらキリが無い」
せっかくの楽しい気分を台無しにしたくなくて、深雪はリモコンを持ち上げてパネルの映像を消したものの、一度重たく沈んでしまった空気はなかなか元には戻らない。
「なんだか嫌な呼びかただね」
ふと悲しそうに漏らす真澄に、火矛威は「……何がだよ?」と尋ねる。
「《ゴースト》っていう呼び名のこと。幽霊っていう意味でしょう? 生きてないってことだよね……どうしてそんなひどい名前で呼ぶんだろう? 私たちは確かにここで生きているのに………」
「そりゃ、決まってるだろ。あいつら、俺たちをいない存在にしたいんだよ! 無視して蔑んで排除したいんだ!」
そういった差別的な感情もあるだろうが、深雪は「たぶん、それだけじゃない」と考えていた。
彼らは―――アニムスを持たない普通の人間はアニムスを持つゴーストが怖いのだ。ゴーストという未知の存在をどうやって受け止め、人間社会にどのように組み込んでいいのか分からない。そういう恐怖と戸惑いが、《ゴースト》という名前に如実に表れている気がする。
幽霊という概念はみなが知っていて、世界中どこにでもあるけれど、幽霊を公に認めた社会は存在しない。それと同じだ。
真澄は何かを思い出したようにスマートフォンを取り出すと、画面をタップしはじめた。
「……知ってる? 最近、スマホでゴースト探知アプリっていうのがあるの」
「何だそりゃ!?」
すっとんきょうな声を上げる火矛威に、真澄はそのアプリを開いて見せる。
「よく分かんないけど……特定の周波数とか当てて、反応がある人はゴーストの可能性があるんだって。学校でもすごく流行ってて、ダウンロード数も急激に増えてるんだって」
深雪と火矛威は半信半疑で、そのスマホアプリを覗き込んだ。画面には「あなたも実はゴーストかも!? 気になる診断方法はコチラ‼」とファンシーなポップアップが表示されてる。どちらかと言うと占いや自己診断アプリに近い感じだ。
「真澄は大丈夫なのか? 学校では誰にも言ってないんだろ?」
深雪と火矛威は高校に行けてないが、真澄はゴーストであることを隠して学校に通っている。もしこのアプリのせいで真澄がゴーストだと周囲にばれたら、いじめどころの騒ぎではない。深雪が心配して言うと、真澄は困ったように微笑んだ。
「たぶん大丈夫。このアプリ、ニセモノだから。私、ゴースト判定出なかったもん。でも、このアプリでゴースト判定が出ちゃった子もいるみたい。周りからすごいイジメられて学校に行けなくなったって言ってた」
「何だそりゃ? ニセモノのアプリなんだろ。そいつが本当にゴーストかどうか分かんねえじゃねえか!」
ますます憤る火矛威だが、彼はいじめといった陰湿な行為が何より嫌いなのだ。
「みんな怖くて不安で……疑心暗鬼になってるんだと思う。ゴーストも人間もぱっと見じゃ違いが分からないから、ちょっとでも怪しいものは身の周りから排除したい……そんな感じ」
「クソッ……!」
火矛威は苛立ったように吐き捨てる
「私……なんだか怖い。いつも誰かに見張られてるような気がして……」
それは深雪も薄々感じていた。狭い箱の中に力づくで押し込められるような、気味の悪い閉塞感。日常生活の中で、息が詰まりそうな感覚に襲われることが増えている。口にしてしまうと、ぼんやりとした不安が実体を持ってしまうような気がして、深雪は重たい空気を吹き飛ばすように明るく振舞った。
「……心配すんなって、真澄。俺たちが絶対に守るからさ。な、火矛威?」
「そりゃあ……そうだけどよ」
火矛威は真澄の話がよほど頭にきたのか、まだ納得しきれていない様子だ。そんな二人をなだめるように、深雪は火矛威と真澄の背中を軽い調子で叩く。
「二人とも気にすんなって。俺たちなら相手が警察でも軍隊でも、そう簡単に負けはしねえよ……そうだろ?」
もちろん警察や軍隊と対立するつもりはなく、深雪たちはただ普通に暮らしたいだけだ。でも、そういう風に強がっていないと得体の知れない不安に押し潰されそうだった。
挑むように笑う深雪の顔を見て、火矛威もようやくにっと笑う。
「おう、あったりめーだろ!」
「もう……私は嫌だよ、そんなの」
威勢よく拳を突き出す火矛威を見て、真澄は呆れたように微笑んだ。二人にようやく笑顔が戻ってきて、深雪は内心でほっとする。
ゴーストを巡る世の中の動きは確かに気になるところだ。テレビやネットでも、日増しに不穏な情報が目につくようになっている。でも深雪にとっては、火矛威と真澄が笑っていてくれる事のほうが何十倍も大切だった。
「それより真澄、プレゼント開けてみてよ。せっかくだからさ」
「あ……うん。そうだよね。二人が選んでくれたんだから……」
深雪に促されて真澄が嬉しそうに紙袋を覗くと、両手に収まるサイズの小さなギフトボックスが入っていた。丁寧に包装紙を剥がし、箱を開けると、中から首に紺色のチョーカーをしたテディベアが顔を出す。真澄は思わず目を見開いて絶句する。
「これ……!」
その反応を目の当たりにした火矛威は、がっくりと肩を落として情けない声を出す。
「うあー、ぬいぐるみはまずかったかな。やっぱアクセサリーのほうが……」
「ううん、すっごく嬉しい! わたし、テディベア大好きなの!」
ところが真澄は瞳を輝かせると嬉しそうに声をはずませた。彼女は小さなテディベアを気に入ってくれたようだ。
「お……おう、そーか! いや、そうじゃねえかと思ってたんだよな、俺も! ナイスチョイスだろ、わはははは!」
さっきまで落ち込んでいたくせに、途端に調子よく胸を張ってふんぞり返る火矛威に、深雪はあきれて半眼で突っこんだ。
「よく言うよ。俺たち三時間も店をウロウロしたんだぜ?」
「っぎゃあ!? それ言うなし!」
「でも、どうして私がテディベアを好きだって分かったの?」
真澄は不思議そうに小首を傾げる。確かに真澄はテディベアが好きだが、深雪や火矛威に言った記憶はない。
「スマホのストラップにクマ付けてるだろ。鞄のキーホルダーもテディベアだし、そうじゃないかと思ってさ」
「すごい、深雪……よく見てるね!」
目を瞠る真澄の隣で、火矛威はぎょっとしたように顔を引きつらせる。
「おい……ままま、まさかお前も真澄のことが好きなんじゃ!?」
「好きは好きだよ。でも、付き合うとかはちょっと違うかな」
深雪にとって真澄は友達で、恋愛対象とは少し違う。それを聞いた真澄は悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「そうなんだ? あたしは全然いいのに」
「まっ……真澄ぃぃ~!? まじでかぁ‼」
「冗談だよーん! ふふふ、びっくりした?」
クスクスと笑う真澄につられて、火矛威も笑い声を上げる。二人にようやく明るい笑顔が戻ってきて、深雪は心の底からほっとした。
(これからどうなるか分からないけど……俺には火矛威と真澄がいる。何があっても一人じゃないんだ……‼)
家には帰れず、学校にも行けず、将来がまったく見通せない。冷静に考えれば深雪たちの置かれた状況はそれなりに深刻だ。
でも、不思議と悲壮感はなかった。自分は一人じゃない。真澄や火矛威、そして《ウロボロス》のみんながいる。そう思うだけで体の奥底から元気がわいてきて、暗雲のように立ち込める不安を消し去ってくれた。
今思えば、この頃は幸せだった。何も知らず、それでも未来は明るいと信じて無邪気に笑っていられた。
この先、自分たちに何が待ち受けているのかも知らずに―――
最初のコメントを投稿しよう!