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心を壊す一通
―――京介と離れる三ヶ月前よりもう少し前。
突然彼と連絡がとり辛くなった。
電話をしても、メールをしても、返事がこない。
きたと思えば深夜も過ぎた夜中に電話が一本掛かるだけ。
どうしたの? と聞いても、返る返事は忙しい、の一言だった。
最初の一月は我慢した。
彼は私と同期のわりに、仕事ができる人間だったから。
他部署だというのに聞こえてくる京介の有能ぶりは、幼馴染でもある自分にとっては喜ばしくも感慨深いものだったから。
二ヶ月目、連絡は相変わらず取れないのに、突然私の住むマンションに彼がやって来た。
新入社員で、お互い今の会社に入った頃は、まだ付き合ってもおらず別々に部屋を借りていた。
付き合いだしてからは、互いの部屋のスペアキーを持っていて、互いに行き来を繰り返していた。
けれど、必ず事前に連絡はしていたのに、京介は突然、お酒の匂いを漂わせ赤い顔をして私の部屋にやってきた。
「接待で飲まされた」と言った彼のスーツから、甘い香りが漂った事は、恐らく私の気のせいではなかったと思う。
その日二ヶ月ぶりに彼に抱かれたけれど、私の頭からはその甘い香りがこびり付いて離れなかった。
そうしてある日、私は見つけてしまった。
その『甘い香り』と同じ香りのする一人の女性を。
会社の常務の姪御さんである、吉岡真奈美(よしおかまなみ)さん。
大学を卒業し立ての、初々しい若さに包まれた少女のような女性は、若い男性社員の心をいくつも掴んでいた様だった。
そんな彼女が、京介に熱を上げていると噂で聞いたのは、彼女を見かけてから二週間後の事。
私と京介の関係は、会社の誰にも知らせてはいなかった。
社内恋愛は何かと人の噂に上りやすいからと、互いに配慮しての事だったけれど、それがまさか仇になるとは、その頃の私には知る由も無かった。
京介と連絡がとり辛いままの日々がその後も暫く続いたある日、京介がまた突然私の部屋にやって来た。
それも、またお酒の匂いとあの甘い香りをスーツにつけて。
会社で何度か京介と吉岡さんが連れ立って歩く姿を見かけていた私は、その香りを嫌悪した。
抱き締めてくる京介の腕を振り解き、抱かれたくないと拒否をした。
京介の手を拒んだのは、今思えばあの時が初めてだったと思う。
どうしたと、驚きながら訊ねてくる京介の声すら苛立たしくて、私は彼を撥ね付けた。
どうしてスーツから彼女の香りがするの、なんて口が裂けても言えなかった。
だって京介は振り解かなかったからだ。
『彼女』の手を。
会社だというのに腕を絡めてきていた吉岡さんの手を、断る事さえしていなかった。
受け入れていた。
彼女の手を。
ろくに連絡も取れず、数ヶ月前に抱かれただけの、私とは大違いだった。
悔しくて、悲しくて、絶望とも言える気持ちに心が支配されて。
私は戸惑う京介の身体を無理矢理ドアの外に押しやり、扉を閉めた。
ドアの向こう、彼が何か言葉を発していたのさえ聞くのが辛くて耳を塞いだ。
そうしてその明け方。
私の携帯に、一通のメールが届いた。
アドレスは、『彼女』の社用アドレス。
manami yoshiokaと名前が入っているから一目でわかる。
『こういう事なので。』
一言だけ記載された文章に添付されていた画像は、私の疲弊した心を壊すには十分だった。
京介と、彼女が。
キスをしている写真が、そこに添付されていた。
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