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私はきっと夢を見ている。 なぜなら、今日は数人の友だちと旅行に出掛けて帰らぬ人となってしまった兄の合同葬儀に参列しているはずだからだ。 兄たちの乗ったバスは落石事故に遭い、運転手を含む運転席近くの5人が犠牲に遭った。 葬儀開始後、目の前に並んだ犠牲者の遺影から次々と当人たちが浮遊し、談笑し、微笑み掛け、突っ噛み合いをし、薄らハゲ頭のオッサンを取り囲んで戸惑ったりと騒がしい姿が見える。 20年間、私に霊感は皆無だ。 (なんだ、あれ?) 参列者は厳かに、読経が響くミラーボール並みの後頭部から目を逸らして悲しみに浸っているのに、何故に故人たちの騒がしいことか。 それが目に見えている私が可笑しいのか? たいして好きではなかったが、嫌いでもなかった兄の死が受け入れられないから幻覚を見ているのだろうか? そんなはずはない。 寂しさはあるが、亡くなったことは理解している。 実感は乏しいが、数日もすれば涙も流れるだろう。 だが葬儀の間中、彼らは自分たちの立場を楽しんでいる節がある。 死者とは、あーいう物なのだろうか。 私もあんな風になるのだろうか。 遺影の上ではしゃぐ彼らに感情が引いていく。 とにかく、葬儀は終わる。 無事に彼らが暴れる様も見せず、滞りなく銅鑼の音が鳴り響いて静けさが透る。
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