四章  邪視

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「…僕にはよくわからなかったんですが、大ネズミが乙哉くんめがけて跳びかかった時、確かに右の眼帯から何かが飛び出しました。目には見えなかったけど…肌で感じたんです。でもその時、一瞬あのネズミよりも怖いと思ってしまったんです。圧迫感でただでさえ動けなかったですけど、そこから更に凍りつくみたいに体が固まっちゃって。背骨が上から下までぞわっとして。感じたのはなにか…禍々しいエネルギーとか、思念みたいな」 「……そのあと、その鼠はどうなった?」 「それが、突然ものすごく苦しみだして…。僕、その瞬間金縛りが解けて動けるようになりました。やった、なんだかわかんないけど、乙哉くんの術で助かったって思ったんですけど…乙哉くんが突然真っ青な顔で、必死にやめるよう叫び始めたんです」 「……」 「そしたら、ネズミと乙哉くんの周囲が変なふうに…陽炎とかみたいにぐにゃってなったと思ったら、フラッシュみたいに光り始めて…まぶしくて目を開けていられなくなって…気づいたら、乙哉くんが蹲ってて、先輩たちがどこからか登場していた感じです」 「…なるほど」  湍は顎下に手を遣り考え込んだ。しばらくしてから宏行に視線を合わせ前のめりに座りなおして言った。 「君は神籬町の御三家の話をもう知っていたかな?」 「あっ、はい、一応…なんとなくですけど…。神籬町には昔から伝わる信仰があって、それの中心にいるのが、湍先輩や承和先輩方の家…なんですよね?」  宏行は緊張しながら答えた。教えてくれたのが、人外の存在からだとは言えなかったが、内容はだいたいそんな感じだったように思う。湍は頷いた。 「そう、僕たちの家は代々、人々の安心と安全をご祈願する存在だ。強い霊能は受け継がれ、悪霊を祓い招福招来を祈り、古くよりこの町は栄えたと聞く。…古賀君は平安京ができた時代の四神・四獣を知っているかな?」 「えっ?」  宏行は瞬いた。平安京くらいふつうに知っている。平安時代の首都の名前だ。しかし湍が持ち出したのは聞き及んだことのない単語だった。首をかしげ、正直に答える。 「知らないです…」 「四神も四獣も同じ存在をさすんだが、その昔、都の末長い繁栄を願って、四方の守護を司る神霊として置かれたものなんだ。元は中国の神話から伝わった考え方をもとにしているんだけど、当時は四神相応の地として、龍脈の流れの良い場所を選んで都は造られたんだ。そして神籬町にもその条件は当てはまり、各家でお祀りしている神霊も酷似している」 「……先輩?すみません、わかんなくなってきました…」 「あ、いや、僕の説明が悪かったね。説明することに慣れてなくて…ごめんね」  出来の悪い生徒で申し訳ない。湍は慌てた様子で謝罪してくれたが、その優しさがかえって辛かった。  湍は頭の中を整理するように一度間を置いてから、話を再開する。 「四神が司る地相というものがある。北を守護する神霊は山、東の神霊は川とかいうふうにね。古来から日本では、東西南北にその地相のある場所が、最も運気の高い吉相と言われているんだ。龍脈というのは大地の気の流れのことで、四神の役割は、要はその気のエネルギーを内部に留めて守ることだ。御三家は潤滑にそれが叶うようにお祀りする立場にあるんだよ」 「なるほど」 「さっき四獣と言った通り、平安京を守護した神霊はそれぞれ動物や獣の姿をとっている。北方に玄武、南方に朱雀、東方に青龍、西方に白虎といった具合に。そして僕たちの家がお祀りしている神霊も、名前こそ違うが伝えられる姿かたちは一緒なんだ」 「朱雀、青龍…って聞いたことあります!…あれ?でも…」  その名前のついたキャラクターなら、以前読んだ漫画で、題材として出てきた気がする。確か名前に入っている色がイメージカラーにもなっていたはずだ。なんとなく姿を思い浮かべてみて…おかしな疑問がわいてきた。宏行はおずおずと質問する。 「四神ですけど…神籬に存在するのは御家なんですよね?ひとつ数が足りないと思うんですけど…」 「そうなんだ。変だよね、大きな矛盾なんだ。だけどそれに関しては僕たち…というか、本家でも誰も知らない謎なんだけど」  湍は少しだけ困ったように笑い、考えるように小首をかしげた。頬にさらりと黒髪がかかる。 「各務家が北、緋桜家が東、承和家が西を守り、欠けているのは南を守護する存在だ。地相の欠けはないんだ、南の森の奥には朱雀という――平安京でいうところのだけど――、鳥形の神霊が司るとされる大きな池か沼があるはずだ」 「あるはずってことは、先輩は行ってみたことないんですか?」 「というか、行けないようになってるんだ。最初に補足しておくと、吉相の地といっても当然良いことしか存在しないわけではないんだよ。丑寅の方角からは悪い気が入り込むし、町内に不穏な場所だって存在する。――あのへんは、古来から不浄の地なんだよ。穢れていて、森自体が立ち入り禁止になってるんだ」  そうだったのか、そんな場所があることも知らなかったと感心する一方で、宏行は湍の言葉に肩透かしをくらった気分だった。龍脈だ神獣だと聞いて、ひそかに気持ちを(たかぶ)らせていたからだ。こんなことを言ったら怒られそうだが、四神なのにひとつ足りないなんて、中途半端じゃないか。 「中途半端だよね」  心情を顔に出したつもりはなかったが、突然湍に言い当てられてぎょっとする。しかし湍本人は困ったような笑顔を浮かべるだけで、これは純粋に湍本人の意見でもあるらしかった。 「そもそも神籬のこの仕組みが、四神の考えを参考にした全く別物である可能性もなくはないと思うけどね。この町の成り立ちって、御三家であってもよくわからないんだ。資料を残していないらしくて…随分古くからあるようなんだけど」 「へぇ~歴史があるんですね…。」  湍は口元に笑みを残したまま、少しだけ顔を引き締め声を潜めた。 「だけど、巴や本家の関係者の前でこれは禁句だよ。一部の熱心な信者さんもだけど…御三神(ごさんしん)の力や信教を絶対だと考えている人たちは、そのへんを突っ込まれるの、あまり好かないから」 「は、はい…。巴先輩にも禁句なんですね…」 「巴は怒り出したりまではしないだろうけど、あまりいい顔をしないだろうな。本家の教えに真面目に報いようとする子だから。…御三家本家は、神籬町が過去から大きな災禍にも見舞われず発展してきた歴史に誇りを持っている」  しかし、湍がふいに視線を落とし表情に陰りを見せた。 「そのこと自体が悪いとは思わない。多くの人々の願いや努力の賜物だと僕も思う。だけど…そのせいで乙哉は、……」  なにか言い辛いことを打ち明けようとする前のように、しばらくの間湍は口をつぐんだ。宏行もまた言葉をはさまず、沈黙を見守る。  やがて、湍が重々しく呟いた。 「乙哉には…乙哉の右眼には、呪いが宿っているんだ」
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