四章  邪視

3/3
54人が本棚に入れています
本棚に追加
/58ページ
「呪い…?」  宏行は戸惑い、反復するように呟く。それは随分禍々しく響いた。 「それが…乙哉くんに…?」 「…呪いや魔力が宿る眼を邪視や邪眼というんだが…長い御三家の歴史の中でも初めてのことだ。一体なぜ乙哉に宿ったのか、その呪いがどこの何に()るものなのかも定かじゃない」  湍の表情は変わらず暗い。宏行は、これは何も知らない者の的外れな意見かもしれないとわかっていたが、言わずにはいられなかった。 「……僕に言わせれば不可思議なことばっかりで、呪いだとかって言われても違いがわからないですよ。そりゃ皆さんは専門家なんでしょうし…僕もあの時怖がってしまったから偉そうなことは言えないですけど…、ただ少し変わった力を持つってだけじゃないんですか?…呪いなんて…」  一瞬、湍の目の中に揺らぐものがあった。 「…そうだね、正確にはそうだ。だって呪いをかけたものが何かもわからないんだから。ただ前例のない力ってだけで。…最初にそう呼び始めたのは悪意や揶揄あってのものだと思うよ。…僕だって弟を差別したり、理不尽な目に遭わせたいわけじゃない。だけどその力は、周囲だけじゃなく本人にまで災いをもたらすものだ。おそらく、その力が呪いだと一番考えているのは乙哉本人だと思う。……古賀くん」 「はい」  湍は顔を上げると、宏行の目を見据えた。 「…これから、本家の中のみで内密にされている話をする。きみを信用してのことだが…絶対に他言無用だ。約束できるかい?」 「……」  湍の真剣さに打たれたように宏行は沈黙した。これはいい加減に返してはいけない返事だ。居住まいを正し、一度大きく息を吸う。迷いはなかった。 「はい」  自分でも思ったより力強い声が出た。その様子を見守っていた湍が、僅かに目元を和らげた。それは弟を案ずる優しい兄の顔だ。再び湍は話し始める。 「――乙哉は邪視が原因で母親を亡くしているんだ」 「…!」  宏行の顔が強張る。覚悟を決めて耳をかたむけたつもりだったが、ひるみそうになる。実の親に…あの異界のネズミに対してやったみたいに、見えない力を振るってしまったということなのだろうか。どうして…なにがあって。  衝撃をなんとか飲み下そうと苦心しているうちに、ふと疑問が湧いてくる。目の前の湍と乙哉は兄弟のはずだ。 「え……、それじゃ湍先輩も…」 「あぁ、いや、僕と乙哉は異母兄弟なんだよ」  宏行にとってはその事実もまた少なからず衝撃的だったが、これに関しての湍の口調は存外さらりとしており、これは内密ではなく周知のことなのかもしれなかった。 「乙哉がまだ物心もつかないくらいの幼い時にね。僕は乙哉のお母さんのことは少しだけ覚えてる…いい人だったよ。当時なにがあったのか、僕も詳しくは知らないが…、乙哉を身籠ったお母さんが屋敷に住むようになった時から、当主のお妾として悪い立場にあったことは確かだ。そんななかで生まれた乙哉の右眼が邪視だということがわかって…ますます立場を悪くしたんじゃないかと思う。―――母親が死んでから、一族関係者は、一層乙哉を毛嫌いするようになった。乙哉には、後ろ盾になり守ってくれる大人がいなくなったんだ」 「そんな……」 「乙哉の右眼の眼帯の下には、各務家に受け継がれた秘術の中でも強力な部類の封印術が施されている。封じ込めなければ、術者はおろか、乙哉自身にもコントロールが効かないからだ」 「じゃあ、僕が異界で見たのは、乙哉くんが戦うために使った術じゃなくて…」 「暴走だよ。に戻った時にすぐ確認したが、眼の封印は破れかけていた。それも内側からだ。死の恐怖への極致から、乙哉自身の防衛本能で偶然解けたのならまだいいが…、意思を持った呪い自らが解術したんだとしたら……ぞっとしない話だ」  不可解で怖気の走る話だ。宏行は沈黙し考えた。  頭の中にふたつの乙哉の姿が浮かんでいた。ひとつは異界で取り乱しながらやめろと叫ぶ姿で、もうひとつは後ろ姿だった。一番最初に教室で目にした時のものだ。  彼は自分の席で寝ている以外、ほとんど下を向くか外を見ていた。それは教室に自分の居場所がないみたいだった。いつも全身で周囲を拒絶していた。誰も寄せつけず常になにかに苛つき、物にも粗暴そうに当たっていた。  だが、図書室で二人になった時の乙哉は、ぶっきらぼうで口は悪いけれども、けして宏行を邪険にしたりはしなかった。彼が纏う空気は穏やかで、優しげですらあった。  もし、あれが本来持つ乙哉の素の一面であったなら。乙哉が日頃纏う殻は、どれほど強固に塗り固められたものなのだろう。自分の中の誰にも理解されない怪異を抱えたまま。  宏行は鼻がつんとしてきた。ぐっと眼元に力を込め、こみあげてきたものをこらえる。真実がどうなのかなんてわからない。勝手に想像して勝手に同情の涙を零すなんて、乙哉に失礼なことかもしれない。  宏行はぐいっと目元を拭うと湍に向き直った。 「乙哉くんに会いたいです。湍先輩、連れて行ってください」
/58ページ

最初のコメントを投稿しよう!