一章  神籬町

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  下校しようと教室の出入り口に差しかかったところで、宏行は廊下から教室内をそっと覗いている男子生徒とぱっと視線が合った。  「どうかしました?」と思わず声をかけてからしまったと思う。状況的におそらく教室内の誰かを探しているのだろうが、先生以外、同級生の名前すら知らない宏行が役に立てるとは思えない。  よく見ると廊下にいたのは男女の二人で、重たげな前髪と少し濃いめに施された化粧が特徴的な女子生徒が、長身の男子生徒の背後に隠れるようにして立っていた。二人とも身に着けている制服が宏行らのデザインと異なっており、おそらく別棟で学ぶ高等部の生徒だろう。  最初に目が合った男の先輩は、突然話しかけた宏行に少し驚いた顔をしたもののすぐに柔らかく笑いかけてくれたのだが、これが品よく目鼻立ちの整ったおそろしいほどの美形なのだった。 「ありがとう。実は弟を探しに来たんだけど、いないみたいだ」  よく通る凛とした声音に同性ながらどぎまぎしつつ、宏行がはぁそうですかと気の抜けた返事を返そうとしたところで、突然背後から押し退けるように前に出る影があった。  宏行の目に体格の良い背中と角刈りの後頭部が見える。先輩らとの間を遮るように立ちふさがったその男子生徒は、必要以上に快活な声を張り上げた。 「各務(かがみ)先輩こんにちは!中等部の教室までわざわざどうされたんですか!」  宏行は戸惑ったが、声の調子と雰囲気に覚えがあり、その人物が誰だか見当はついた。名前は忘れたが、転校初日に職員室でクラス委員だと担任教師に紹介されたことがある。その時もよろしくな、と同じく頼もしい調子で声をかけられたのだが、その実、宏行を値踏みするかのように上から下まで眺めている事に気付いていた。 宏行との交流はそれっきりだが、クラスのリーダー格らしく、同級生には頼りにされているようだ。生徒同士の会話を小耳に挟んだところでは、なにやら霊感まで持つらしい。よく分からないが。  ふと教室内の空気が色めき立つのを感じた。教室の後ろの出入り口で話していたのだが、委員長の声で先輩らの存在に皆気が付いたらしい。女子の飛び跳ねるような囁き声があちらこちらで聞こえてくる。各務と呼ばれた先輩を、頬を紅潮させてじっと見つめている子もいる。  どうも有名人らしく、中等部で随分人気な先輩のようだ。  扉と角刈り頭の隙間から、先輩の少し困ったような笑い顔が見えた。 「乙哉(おとや)がいるか見に来たんだけど、いないようだね」 「各務(かがみ)くんですか!」  委員長が教室内に体を向けると小鼻の膨らんだ横顔が見えた。大きな顔を悔しそうに歪めている。さっきからどうにも仕草が大仰で、拳にした右手を胸の前で固く握りしめてすらいる。 「彼は授業をさぼってばかりなんです!ここ数日は姿すら見ません。不真面目にも程がある!委員長として何もできず、悔しいばかりです!」  ふと、後ろから覗き込んでいた女の先輩が鼻白んだように小さく笑う気配がした。熱弁している角刈り頭の委員長は気付いていないようだ。  そして今しがたの発言で、話の渦中の人物が誰なのか、宏行は見当がついた。  窓際の一番前の席の持ち主だ。近くはないが、斜め後ろの方に位置する宏行の席からはよく見える。大体いつも空席なのだが、それを気にする者はいないようで、担任すら出席をとる際に返事がなくても、気にせずさっさと次に行く。  ごくたまに授業に出ていても、教科書も開かず窓の方を向いていて、教師の話に集中しているようには見えない。所謂不良生徒らしく、いつも大きめのサイズのパーカーを着た小柄な背中を丸め、ピリピリした空気を発していた。 (この先輩は彼のお兄さんだったのか)  ついに各務先輩に申し訳ないとまで言い出した角刈りの背後から、宏行はそっと横をすり抜け廊下に出た。どうもお役御免のようだ。そもそも先輩はすでに弟が居ないことを確認していたようだし、最初から役目などないようなものだったが。 「ねぇ」  教室を過ぎ廊下の真ん中あたりまで進んだ所で、突然宏行は呼び止められた。  振り返ると、各務先輩という人の背中を離れ追いかけてきたらしい女の先輩が、宏行に向かい何か含みのある顔で微笑んでいた。 「はい?」 「あなた、なんだか良くない気配がするよ」 「は?」  あまりに思いがけない科白に宏行が二の句を継げずに固まっていると、ようやく会話を切り上げたらしい各務先輩が寄ってきて、女の先輩に声をかけた。 「巴、遅くなって悪い。行こうか」  ふと中途半端に振り返った状態で呆けた顔の宏行に気が付くと、先程と同じように笑いかけてくる。 「君、さっきは気にかけてくれてありがとう。もしかして転校生かな」  え、あ、とようやく正気に戻った宏行は慌てて先輩方に頭を下げた。 「少し前に転校してきた古賀宏行です」 「各務(かがみ)(はやせ)、高等部の生徒副会長で、君の同級生の各務乙哉の兄です。こっちは生徒会書記の承和(そが)(ともえ)」  まるで少女漫画の登場人物のように爽やかな自己紹介だ。  こちらこそよろしくお願いしますと急いで返し、ふと疑問を口にする。 「先輩、弟さん探してましたけど家で会いますよね?そんなに急ぎの用なんですか?」 「…あいつどこで何してるんだか、家になかなか帰ってこなくてさ。気づかないうちに帰ってきても、すぐ部屋に閉じ籠ってしまうからつかまらなくて。急ぎというか…どうしても伝えておきたいことがあったから、授業終わってすぐ駆けつけてみたんだけどね」  湍先輩は少し寂しそうに笑った。 「あいつもちょっと色々あるやつだから…、でも根は悪いやつじゃないんだ。よかったら古賀くんも仲良くしてやってくれると嬉しい」  弟思いのお兄さんのようだ。だが宏行は目下の悩みを思い出し、周囲を見回し誰にも聞かれていないことを確認してから、苦笑して頬を掻いた。 「僕も弟さんによろしくお願いしたいんですけど、クラス自体に馴染めてなくて」 「クラスに?」  湍先輩はきょとりと目を瞬かせてから、何か思いついたことがあるようだったが、うーん、と少し考えるように唸った。 「あなたが余所者(よそもの)だからよ」  巴がずばっと、突き刺すように言い放った言葉に宏行は思わずぎょっとしたが、それは湍先輩も同じだったようで巴、と慌てた様子で窘める。  巴先輩は湍先輩を見やって、しまったというように口を覆った。  湍先輩はごめんね、と宏行に一言詫びてからとりなすように続けた。  「神籬(ひもろぎ)は昔から隔離された場所にあるせいで、住民は町の外に対して閉鎖的な面があるんだ。移り住んでくる人なんてほとんどいないし、外から来た人を受け入れるのに時間がかかるんだと思う。でも、君が悪いわけじゃないんだよ。皆慣れてくれば自然に話しかけてくると思う」  言葉を選ぶようにゆっくり話す様子に、宏行は好感を持った。容姿端麗な上に初対面の後輩にまで優しいだなんて、人柄も完璧じゃないか。 「独自の風習みたいなものもあって、君自身慣れないこともあると思う。もし困ったことがあれば、遠慮なく言ってくれれば力になるからね」  巴先輩がうっとりした眼差しで隣に立つ湍先輩を見ている。  宏行までファンになりそうだった。
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