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その女は、一本の煙草を実にうまそうに吸った。
あ~…うまい。妊娠がわかってから止めてたのよね。
長く吸わないでいると匂いが無理になるって聞いたことあるけど、
あたしは違うみたい。
あ、でもここって何でも叶う世界なんだっけ?
あたしが美味しく吸いたいって思うからそうなってんのかな?
よくわかんないけど、とにかくうまいよ。出してくれてありがと。
こんなに長く吸わずにいられたなんて、自分でもびっくり。
昔なんか、ちょっとでも嫌なことあったらもう、吸わずにはいられなかったんだけど。
お腹に子供がいるって思うだけで全然平気だったもん。
しかし死んだらこんな所に来れるんだね~。意外~…ってか死後の世界とか
思えば深く考えてなかったかも。…え?違うの?
めっちゃ綺麗な場所だけど…本当に天国じゃないの?
…まぁ、もし天国にいたら、それはそれで意外だったけど。
じゃあお兄さんも神様ってやつじゃないの?
ものすごい美人だしさ~神様ってほんとにいたんだって感心してたのに。
…つかなんであたし高校のセーラーとか着てんの?
思い入れのある恰好?あ~…、うっわ…ネックレスまであるんじゃん…
どっかになくしたはずなのに。
うーんお守りっていうか…なんとなく意地になって持ってただけみたいな。
各務家のこと?随分詳しいんだね、あなた。
もう超めんどくさいよ、あの家。
しきたりがどうの、家の者としての振る舞いがどうのってさぁ
やかましいわって感じ。
ほんとにそんな風に振る舞ったら、それはそれで気に食わなさそうだけど。
はははは。
服とかもさ~全然自由にさせてくんないの。
おばさんらが用意してくるやつ、めっちゃ地味で全然好みじゃないんだけどさ。
や~着てた着てた、あんまし態度悪くしてたら子供までいじめられそうじゃん。
言うこと聞いておとなしくしてたよ~
まぁ小言は聞き流してたし、離れに住んでたから、基本のんびりしてたけど。
べつに何とも?嫌われんのなんか慣れてるもん。
ガキだしお金ないしさ。子供産んで育てられなかったらどうしようって思ってたから、あの家に住むの全然アリだったよ。
むしろちょっと良い衣食住提供してもらえてラッキーかもって、
ご当主には感謝してるくらい。
えー、ひとりじゃないって。乙哉がいるからふたりじゃん。
生まれる前から、ずっとそうだったよ。
そう、さっきも言ったけど、当たり障りないよう一応気遣ってたってのにさ~
あのクソババァども、乙哉に対してめっちゃ当たり強いわけ!
あっ、ババァって言っちゃった…、まぁもう死んでるしいいか、ははは。
右眼?そりゃ最初はビビったよ~マブタないし、瞳は真っ赤だしね。
ホコリとかばい菌とか入るかもって心配したけど大丈夫みたい。
ほんと不思議。
よかった~って安心したらもう可愛いばかりよ。溺愛よ。フフフ。
でも可愛くない?両目で色違うのなんとかっていうんだって…何だったかな?
そうそう、オッドアイ!すごくない?可愛いでしょ、チャーミングでしょ。
チャーミングだろって、おい。
呪い?だってご当主とじいちゃんが言ってたけど、あれずっと昔に各務家がかけられた呪いらしいよ。知ってた?乙哉悪くないじゃんね~。
女の子の姿した蛇の女神様だって。でも実際姿はよくわかんなかったな~。
夢で戦ったのよ、あたし。まぁそのせいで死んだっぽいけど。
でも乙哉の体乗っ取ろうとしててさ、…ざっけんなでしょ。
ぜってぇ黙ってられねーだろ、それは。
…話逸れちゃった。
呪いを強く受けた子供がこの時代に生まれてくるって、占いで前からわかってたんだって。最初は坊ちゃん…正妻の子がそうだろうって予想してたけど、
いざ産まれてみると違ったから、知沙子サン心底ホッとしたみたいね。
だから、乙哉がその子供で間違いないだろうって。
名前もじいちゃんが考えたんだけどさ、女神イコール乙女だから乙哉って。
…そのまま過ぎじゃない?男の子に『乙』って変じゃないのかな?女っぽいって将来いじられないかな?
あ、別に『乙』の漢字に女って意味ないの?
え!弟って意味あんの!?やっぱそのまんまじゃん!
しかしお兄さん、若いのによく知ってるね。
それともこれって常識だったりする?
あたしバカだし、勉強とかしたことないからさ、よくわかんないんだよね。
え?あたしはべつに名前なんか何だってよかったもん。
そりゃあんまり変な名前だとどうかなって思うけど、あたし学ないし、名付けのセンスとかも自信ないしさ。
…これって冷たいのかな?
でも良い母親がどういうものなのか知らないんだよね。
こんなのが母親で、乙哉が大きくなったら嫌われるかなーって思うけど、ぶっちゃけいいんだ。あたしは100万倍の愛をあげるけどね!
どっちかっていうと、親を嫌っちゃダメだとかって悩ませる方が嫌かも…
えーだって、子供が自分の意思持つのなんか当たり前じゃん。
だからさっさと親離れしてもいいよって思ってる。
エラソーに言っといて、実際その時になんないとわかんないけどさ。
少なくともあたしは永遠に子離れできなさそうだけど。
でも乙哉が生まれてさ…ううん、生まれる前から…あたしのとこに来てくれた時点で、もう、なんていうか…それでもう充分なんだよ。
乙哉のおかげであたし救われたんだよ。良いことなんかひとつもなくて…死に切れないってだけの人生だったけどさ。この子が来てくれたから生きようって思えた。そしたらもう、他のことなんか全部へっちゃらだったよ。
無事に産まれてきてくれて、あたし、本当に幸せで……
そばで乙哉の成長見れないのは、ほんとさ…ほんっと悔しいけど…
……大きくなったらどんな子になるのかな~…
でも、人間生まれたらさ、どんなんでもやっていくしかないのよ。
光しかない人生なんて有り得ないもん、絶対。
だから乙哉もさ、きっと険しい道を歩いていくんだろうけどさ、泣いても絶望してもいいから、ひとつでも幸せ見つけて、それを大事に生きてほしいよ。
―――真っ暗闇にいたあたしにとって、乙哉がそうだったみたいにさ。
……喋りすぎたわ。元々こんなベラベラ喋るキャラじゃないんだけど。
お兄さん聞き上手だね。
聞いてくれてありがと。
一本吸い終わるし、そろそろ行くわ。
体にあちこち包帯が巻かれた、荒んだ瞳をした女子高校生の姿だったその人は、話しているうちに、いつのまにか清楚な恰好の若く美しい女性へと変貌していた。
優しい光に包まれた常世の境界で交わされた誰かとの会話。これはその誰かの記憶だ。
薄茶の猫っ毛を長く伸ばした女性は最後に何事か呟くと、ニカリと歯を見せて笑った。そのあとは背を向け、振り返ることなく、堂々とした足取りで光に向かって歩いていく。
想像していたより遙かに口が悪く―――、想像していたより遙かに強く優しく、そして息子への愛情深い乙哉の母、詩奈の最期の姿だった。
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