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五章 神隠し
隣部屋の病室を開けると、なにやら揉めている気配がした。
「だから、アンタが悪いんじゃない。自業自得よ!修行もしないでフラフラしちゃって、御三家の名前にこれ以上泥を塗るのはやめてよね」
「うるせぇ見栄ッ張り女!テメェの下らねぇ価値観で人を計るんじゃねぇ!」
「なんですって!?」
怒号を上げているのは乙哉と巴のようだった。宏行は巴の人を食ったような笑みを浮かべたところしか知らないので、乙哉と真っ向から怒鳴り合っている事にひそかに驚いた。
「だいたい湍くんはアンタに危険を知らせようとしてたのよ!なのにアンタが全然捕まんないから言う機会を逃してたんじゃない!そもそも御三家のくせに“境界”のこともまともに知らないなんて信じらんないわ!それでも各務家の息子なわけ?情けない!」
ヒートアップしていく巴に、かたわらの湍が制止のため動こうとする気配がする。しかしその前に、静かで抑揚のない声がその場に響いた。
「二人とも静かに、場所を弁えて」
カーテンの向こうの声は巴よりも低めのトーンだが、間違いなく女の子のものだ。
異界に駆けつけたもう一人であることは予想がついた。その声は感情を読ませない声色で淡々と続く。
「巴ねえさん、役を負う立場として、乙哉の素行に物言いをつけたくなる必然はあるでしょう。けれど、危機を脱した今は糾弾よりも休息をとる方が優先です。ましてまだ事は済んでいない…、冷静に状況を整理すべき時です」
「なっ…!なんでアンタなんかにそんな…」
「紫衣の言う通りだよ巴、落ち着くんだ」
湍がカーテンを開け厳しい声色で割って入り、宏行も続いて顔を出す。
言い争いに夢中なせいで、宏行たちが入って来ていることに気づかなかったらしい乙哉と巴の驚く表情に対し、紫衣と呼ばれた少女はまったくの無反応であり、ちらりと視線を向けたのみだった。
宏行と視線の合った乙哉が、不自然に視線をそらした。宏行は一瞬たじろぐが、あえて気づかなかった振りをして乙哉に一歩近づく。
「乙哉くん、具合大丈夫?」
声をかけられると予期しなかったらしい乙哉は、思わずといった調子で視線を戻すと、まじまじと宏行の顔を見遣った。邪視ではない左眼の奥に、隠し切れない動揺が揺れるのが見えた。
乙哉は気まずそうに俯き「おう」とぶっきらぼうに返事をすると、それ以上は何も言わなかった。
「古賀君」
湍が取りなすように宏行に呼びかける。
「話の前に先に紹介を済ませてしまおう。そこに座っているのが、もう一人の御三家の子だ」
湍に促されるまま、宏行はベッドの頭側の近くに丸椅子を置いて座っている女子に目を向けた。血管が透けそうなほど色の白い瞼はやや重たげで、伏し目がちの瞳は細長い睫毛で繊細に囲まれている。ハーフなのか単にそういう顔立ちなのかどこか異国風で、人形のような可愛らしいつくりの女の子だ。ゆるくハーフアップにまとめられた髪は、桃色とも淡い紫ともつかない不思議な色合いをしていた。
「緋桜紫衣だ。きみや乙哉と同い年だよ」
湍の紹介に合わせ、宏行は少女に座ったまま軽く会釈される。
「あ、古賀宏行です…よろしく」
宏行も頬を掻きつつ会釈を返す。なにやら最近美形に遭遇してばかりな気がする。
「コガ、こっち座れ」
「あ、自分でやるから!」
「紫衣、そっちちょっと詰めてくれ」
乙哉の口調はふつうのものに戻っていた。だがベッドに半身を起こしたままの不安定な姿勢から、手を伸ばしわきに積んである丸椅子を取ろうとするものだから、それを見た宏行は慌てて押しとどめた。自分の方が重症だろうに、さっきも元気に怒鳴っていたし、湍の言うように本当にタフなのだろう。
「巴、僕たちも座ろう」
湍が巴とともにそれぞれベッドの足側にあった二脚の丸椅子に腰かける。
湍が一呼吸置き、全員を見回した。
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