三面鏡奇談

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 あの三面鏡には化生が映るから覗いてはいけない、と生前に祖母が言っていた。  化生とは何か、と幼い私が尋ねると、バケモノだと彼女は忌々しげに言い放った。  蝉が鳴いている、ぎらぎらとした日の光が雑草の茂る庭に降り注ぐ。私は屋敷の内側、少し涼しい暗がりからその様子を眺めながら、汗が引くのを待つ。大きく息を吸うと埃の臭いがした。  実家の祖母が亡くなってから四十九日も過ぎ、残った家と土地をどうするかを親戚同士で話し合った。何せ交通の便も良くない田舎の旧家だ。手入れも大変だということで自然、処分する方向で話が決まった。権利関係の確認や処分等は一番上の伯母とその夫に任せていたので、私はその手続き関連の席では、ただふんふんと頷いていただけだった。だからだろうか、毎年夏に訪れては、一週間ほど滞在していた家がなくなるという実感は、こうして訪れるまではなかった。  最後にこの家に来たのはもう二十年以上前のことだ。冷淡な言い方だが、もう私との繋がりは殆ど切れていた。祖母と顔を合わせたのもその時から、納棺の時、彼女が死に化粧をした姿を見るまで二十年、一度だって会ってない。  小さい頃は結構お世話になっていたのよ、と。  通夜の最中、母はそう言って私の冷淡さを非難するように一度、言った。しかし、そんな彼女も亡くなる直前まで、祖母に殆ど会っていない。私にはその理由がわかる。  母は祖母を怖がっていた。母だけでなく、伯母もその娘たちも、私も。  祖母はいつだって何か、恐ろしいものを纏っているようだった。兄達を戦争で亡くしてから、山城家を一人で支えていた。田畑も、自分の母の嫁入り道具も売り払って、自らの婚姻すらも道具として使った。そのお陰で、彼女は一度失った家を、土地を取り返したのだ。それはまさしく女傑と表現すべきだろう。  実際、彼女は私から見ても恐ろしかった。小柄で骨ばった姿は威圧的ではなかったし、その言動とて怒鳴りつけるわけでも、何か残酷なことをするわけではない。しかし、この屋敷に集った親戚は不思議な緊張感に包まれていた。彼女に見据えられることに怯えていた。皺の奥の、あの瞳で。  あの黒い穴のような瞳で見据えられると何もできなくなるようだった。  そんな祖母も寄る年波で衰え、亡くなった。彼女が守り抜いた家も土地も、二束三文で処分されようとしている。だが、あの瞳だけは忘れられない。私もあの老婆を恐れていた、だから無意識のうちに、彼女との繋がりを切ろうとしていた。  だから、祖母の実家に残った家具や雑貨で何か欲しいものがないか、見に行かないかと提案されたとき、流れ作業のように仕事を理由に断ろうとした。  断らなかったのは、なぜか。  ――バケモノだ。  あの三面鏡。祖母と交わした数少ない会話、私が七つか、八つの頃に話したやりとり。ふとその時のことを思い出した。  バケモノが映る、と見せてもらえなかった三面鏡。今ならば見ることも叶うのではないか。そんな下らないことが頭をよぎった。下らないことの筈なのに、その考えは私の行動を変えた。  私が車を動かすと言ったが、母は同行しなかった。おそらく乗り気ではなかったのだろうが、伯母たちに面子を立てる為にも一家で誰もいかないのはまずいと思っての提案だったのだ。その貧乏くじを娘が引いてくれるのであれば、自分は行く必要がないと判断したということだ。それを責めるつもりはなかった。今の職場が近いからとは言え、良い歳になっても家に寄生している立場だ。それで多少でも感謝されるなら文句はない。  車を回して二時間と少し。その最中、私は昨日の職場での会話を思い出した。本来、今日に予定の入るはずだった、会社の同期会に断りを入れる時のやりとり。その時に言われた言葉だ。  ――弥子ちゃんは真面目よねぇ。  これは時折言われる言葉だ。他の同期が上司のいない所で散々雑談をしたり、仕事の手を休めたりをしている最中に淡々と仕事をしている様子をもって言われているとのことだ。  それがどうやら普通ではないということだから、最近はそういったタイミングで、意識して仕事の手を緩めるようにしている。  ――弥子ちゃんは真面目よねぇ。  その言葉に悪意はなかっただろう。いや、あったとしてもそれはあくまでも刹那的な感情から持たされたものだ。彼女の中には良い面も、悪い面もあり、その総体として彼女個人がいる。  その感覚が自分にはない、といつからか思うようになっていた。私はまず、山城弥子という人間がいて、それに合うように行動を自ら規定しているのだった。簡単に言えば、演じている、というのだろうか。だから、適当に手を抜いたり、適当に真面目にやったりということができない。だから常に気を張っている、結果真面目と評される。  むろん、人間というものは常に自己の特性から行動が決定するわけではない。その人に与えられた役割や周囲からの期待によって、行動が変わることもある。  しかし、私はそうした生き方に慣れていない。慣れていない、というかやましさを感じている。あるいは危うさを。だから、殊更に真面目であろうとする。一か所でも間違いがあると、そこから自分という存在が綻んで、ばらばらになってしまうような焦燥感が常にあった。  おこがましい話ではあるが、それはまるで神話の英雄の様だと思った。アキレウスの踵、ジークフリートの背中。私の場合は、心の奥のやましさ。  その正体はわからない。ただ、そのことを考える時は不思議と祖母の家のことを思い出すのだった。あの広大な敷地と田園、開放的だがどこか陰鬱とした日本家屋、そしてその背後の鬱蒼とした森林と山間。  路肩に車を止め、照り返しから逃げるように早々に家の中に避難する。既に伯母たちが来てめぼしいものを持って行ったからか、屋敷の内側は記憶よりも随分とがらんとしていた。日本家屋らしい吹き抜けは外界から訪れる風を遮ることはなく、そのまま反対側へと抜けていく。風の通り道、手入れがされずほつれた畳の上に座る。だが生前はお手伝いさんに家周りを整えさせていたからだろう、どの室内も想像していたよりも綺麗なままだった。  見上げる屋根と柱の隙間は別世界のように薄暗く、幼いころに見上げた光景と確かに同じだった。  毎年夏に来た時は親戚が集まっていたからか、この家は賑わっていた印象が強かった。夜の宴席は盛況を極め、親戚連中の他、近隣――といっても車で十数分かかる距離だが――の家の住人、お手伝いさん、かつて世話になったという人々等、三十人近くの人が居合わせていた。全員の顔と名前を一致させることは毎回できなかった。  そして、奇妙なことにそれ以外の人々もいた気がする。例えばそれは、誰もいないはずの部屋からの物音だったり、同年代の子供達と遊んでいる時に、知らない子が紛れていたり。そういったよくわからないものもこの家にいた。そんなものはいないと親戚は言った。大人も、子供も皆が笑って、あるいは少し怒った様子で。  私の話を信じてくれたのは祖母だけだった。  バケモノがいる、と私が怯えて言うと、彼女は黙って首を振った。  ――あれはね、バケモノではない。ご先祖様にゆかりのあるモノ達だ。幽霊、と言った方が良いかね。  ――寂しいから、集まりに一緒にいたいんだよ。悪いことをしようって言うんじゃない。そういうのはね、バケモノとは言わないんだ。 ――本当のバケモノは。  あの鏡の向こうにいるのだ、と。彼女は自室の隅にある、三面鏡を指さした。紐で縛り開かないようにされている、木造りの三面鏡を。 その時に彼女は私に鏡の話を最初にしたのだ。そして、それ以来、名前も知らない彼らが恐ろしくなくなった。そういうものだと思えるようになった。  代わりに、あの鏡が怖くなった。そして同時に惹かれるようになった。本当にあの鏡にはバケモノがいるのか。そうだとしたら、彼女はどうしてそんなものを自らの傍に置いていたのか。  だから、私はあの鏡を取りに来た。    しかし、結局のところ鏡は見つからなかった。休憩して真っ先に向かった祖母の部屋は、思い出と大きく相違はなかったが、一点鏡だけがなかった。そもそも置いていた筈の場所は、衣装箪笥が置かれているだけだ。それは伯母たちの誰かが持っていったというより、そもそもそんなものがなかったかのようだった。  私は途方に暮れる。こんなことであれば、事前に伯母たちにどんな家具が家の中にあるかを確認していれば良かった。もし、先祖達の霊が此処にいるとしたら、私の姿はどう映っているのだろうか。  名も知れない先祖達、祖母、そして。  ――そして、貴生。  そう、貴生だ。私より一回り年上だった貴生。私が最後にこの家を訪れた時に、亡くなった貴生。随分と話した相手のはずが、今まで忘れていた。  ――バケモノというのはね、人を食うようなものはそんなに怖くないんだよ。    この家の周囲に建物はなく、車の音もない。ただ蝉の音だけが騒々しいだけだ。その分、自分が一人であるということを随分と強く感じる。孤独であることは嫌いではなかった。一人である時は間違いが起きないからだ。誰かに評価されて、違うと断じられることはない。  私はゆっくりと自分の呼吸に耳を傾ける。半ば夢心地のような気持ちで、記憶の続きを捲っていく。  貴生と言葉を交わしたのは確か九つの時、欄干に彫られた獅子を見上げていた時の事だ。  ――あの獅子が気になるのかい。  眼鏡をかけて、いかにも書生然とした貴生は、私の傍らにしゃがみ込み、話しかけてきた。  ――そう、あの口を、牙を見ていたんです。  どうして、と貴生は尋ねる。  ――バケモノの口というのはあんな形をしているのかなって。  言った後に、しまったと私は思った。昨年にバケモノの話をした時の、親戚たちの反応を思い出したからだ。彼らの苦笑、聞き流すような反応。そういった間違ったという実感が嫌だったのだ、当時にはもう。  ――弥子ちゃんの思うバケモノというのは、どんな感じだい。  しかし、貴生はそうした反応とは違っていた。むしろ興味を持っているかのように尋ねる。  ――例えば、人を食べるような、そんな感じかい。  私は戸惑いながら頷くと、貴生は何やら思案気に頷いていた。  ――何を考えているのですか。  私が尋ねると、貴生はごめんごめんと謝った。別に謝ることでもないだろうに、と子供ながらに思ったことは覚えている。どこか卑屈な人だ、と。  ――確かに人を食うようなバケモノもいるが、バケモノと言うのはね、それだけじゃないんだよ。そして、そうじゃないバケモノの方が怖い。  私がわからないというような表情をしていたのだろう、貴生は困ったように笑いながら言葉を続ける。  ――つまりね、人を食うというのは理屈があるわけだ。食わないといけない、あるいは食わなくても生きていけるが、美味だから人を食う。それは人間から見れば恐ろしいことだ、だって、命の危険があるわけだからね。  彼は両手の指同士の腹を合わせて、順々にくるくると回す。後から知ったが、それは彼の考え事のする癖のようだった。  ――あるいは呪い殺すバケモノというのもいる。生前に何か恨みを残したものの死んだ霊が、怨霊となり、怪物になるという場合だ。これも恨みを買った人間にとっては恐ろしいバケモノだ。なんせ自分を殺してくるわけだからね。それも恨みや呪いといった、よくわからない形で。  ここまではわかるかい、と彼は私の様子を窺う。うん、と頷くと彼は言葉を続けた。  ――でもね、本当のバケモノとは、理由がわからないまま、人を殺す存在のことだ。食う為でも、恨みの為でもなく。ただ殺すのだ。それがバケモノなんだよ。  つまり、バケモノには何もないのだ。  貴生は伯母たちの子供でも、祖母の遠縁でもなかった。彼は祖母の以前のお手伝いさんの親族、孫だという。そのお手伝いさんが亡くなってからは代わりに彼が祖母に招かれて、その年から来るようになったのだという。  居心地が悪くないかと尋ねると、人が多いからそれ程目立たないのだという。だが、そんなことはあるまいと子供心に思った。  そもそも、男がこの家には少なかった。祖父は私が生まれる前に亡くなっていたし、子供は四人いたが、全員が女性だった。彼女たちの夫連中、私の父も含めた全員は、初日の宴席にこそ同席したが、その翌朝には妻と娘達を置いて、さっさと戻ることが殆どだった。そして、一週間程してから再び迎えに来るというのがいつものパターンだった。  だから、二日目以降に家にいる男は、小間使いの老人か、近所の老夫婦の旦那か、あるいは貴生だけだった。だから、彼がこの家に来たのは今年からだとすぐに分かったのだ。  どうしてきたの、と言うと彼は照れくさそうにこう言った。  ――バケモノをね、見に来たんだよ。この辺りには、怪物の伝承があるんだよ。  彼は民俗学を学ぶのが好きらしく、大学でもそういった手合いの講義ばかりを取っているとのことだった。そして親戚より聞かされたこの辺りの伝承に興味を惹かれたのだという。 しかし、その殆どがわからないのだと彼は言葉を続けた。何せ随分古い話だから、元々この辺りで働いていた親戚もその内容をよく覚えていないのだという。  ――山城の家に関連するバケモノだと聞いているんだ。ほら、この家はこの辺りじゃ随分と古い家だと言うからね。だから、僕はここに来ることにしているんだ。  年上の男性と仲良くするということは、ともすれば同年代からやっかみの種になりそうなことだが、貴生と仲良くする私に対してそういったものは誰からもなかった。それはおそらく、貴生が男性として魅力的からほど遠い容姿だったからであろう。目鼻立ちは決して悪くないのだろうが、顎の下に肉がつき、身体全体のラインもふっくらとした球体を思わせた。田舎にいるというのに肌は色白く、不健康そうな印象を与えていた。  そんな彼となぜ、交流をよくしていたのかというと、やはり当時の私はバケモノに惹かれていたからだ。私は彼から様々な怪物、妖怪の類の話を聞いた。それはのっぺらぼうや口裂け女といったありきたりなものから、あるいは鳥山石燕の描くような妖まで様々だった。  ――例えば鵺という怪物は色々な動物の混ざり物だ。猿の頭、虎の手足、狸の胴体、そして蛇の尻尾を持つという。こいつも、ひょうひょうと鳴くばかりで、何をするのかわからないのだと言う。  翌年、私は彼に、祖母から聞いた山城の家のバケモノの話を教えた。それはバケモノについて詳しく教えてくれた彼への恩返しのつもり、というわけではなかった。 私はずっと、鏡の中を見てみたいと思っていた。祖母の言うことが本当かどうかを確かめたかったのだ。だが同時に怖かった。  だから、幼い私は小賢しくも、貴生を実験台にしようとしたのだ。 祖母が挨拶まわりに家を離れた隙に、私と貴生は人目を忍んで祖母の部屋に入り、鏡台の置かれた座敷の傍に並んで座った。貴生が先に紐を解いたが、私は口の中で慣れぬ念仏を唱えながら俯いていた。  ――何もなさそうだよ、弥子ちゃん。  そう言って、拍子抜けしたように貴生は言った。恐る恐る目を開けてみるが、鏡は覗かないようにした。そんな私の様子がおかしかったのか、再び封をしながら貴生は笑って言った。  ――きっと小さな君が悪戯をしないように言った、作り話なんだよ。ほら、化生と化粧台で、言葉遊びをしただけなのかもしれない。 そう語りながら振り向いた時の貴生の目は。  なんだか一瞬、ひどく嫌なもののように私には映った。  気づけば外の日が随分と傾いていて、夕暮れの光景となっていた。どうやら私は少し夢を見ていたらしい。指で頬をなぞれば畳の後が残っているよだった。誰にも見られていないが、少し恥ずかしかった。  貴生が死んだのはその翌年、私が十二の歳の出来事だ。つまり、私が最後にこの家に来た時のことだ。  鏡を覗いた翌年に貴生は亡くなったのだ。鏡の封を解いたからだ、と私は思う。  貴生が亡くなったのは、この実家の裏手の山だ。岩肌の露出している場所も多く、崖のように切り立った地形も多いことから、子供たちは立ち入ることを禁じられていた。貴生は山の散策中に滑落したらしく、頭をパックリと割って死んでいたそうだ。彼の遺体が発見されたのは、彼が家からいなくなった翌日のことだ。何やら大人達が騒々しかったことは覚えている。  それ以外は、覚えていない。  ――本当にそうか。  私は何かの違和感を覚える。それまで毎年仲良くしていた人物が亡くなったのだ。もっと何か、悲しいだの、驚くといった感情があった筈だ。実際、翌年から私はあの家に行かなくなった。それはきっと、悲しくて、やり切れなくて。  ――いや、違う。  私はきっと、後ろめたかったのだ。  不思議とこの場所にいると、何もかもを思い出す。まるで霧が晴れるかのように、あの時の感情が、思考が、行動が蘇る。  息をゆっくり吸う、吐く。再び畳に身を伏せる。いぐさの匂いの中、瞳を閉じる。 十二歳の私はあの時。  貴生を殺したのだ。  あの時、山を調べに行こうと貴生が言い出した。彼は昨年よりも更にひと回り大きくなった腹を抱えて、のたりのたりと私に先導して歩いていたのだ。  私はその年の貴生に、何か気味の悪さを感じていた。それは彼の喉奥の吐息の音だったり、粘つくような視線だったりで、私は嫌悪感を隠さないでいた。  山の中腹辺りで、彼は不意に私の手を掴んだ。その力は強く、到底引き離せないものだと感じた。  その時の彼は、随分とバケモノのように見えた。腕に生えた毛が、まるで獣の様だった。  鵺というバケモノは、顔が猿で、胴体が狸で、手足が虎で、下半身から、蛇が。  少し小突いただけだった。それなのに彼は簡単に傾いて。叫ぶ暇もなかった。私は黙って山を降りた。何も知らぬふりをして、家で自分より年下の子らとごっこ遊びをしていた。 大人達に貴生と一緒にいたかと聞かれた時も、今日は見ていないと答えた当時の私。  私は自らの中の後ろめたさの正体を知る。それは恐ろしいことだったが、同時に安心もした。自らの不安定さに名前があったことに、私はほっとしたのだ。身を守る為とはいえ、人を殺したのだから、怯えて、不安になる。  それは全く、人間らしいことだった。  ならば、私がここに来たのは鏡台を探す為ではなく、きっと己の罪を確認したかったのだ。それができた、もう満足だ。  身を起こし、周囲を見渡す。辺りは夕暮れに沈み、もう段々と何も見えなくなっている。私は携帯の明かりをつけて、周囲を見渡す。 そこには鏡台があった。さっきまでなかったはずの場所に、思い出と全く同じ形で。  私は戸惑う、混乱する。もう私には鏡は必要ない。この家に来る理由は要らない、見つける必要はないのに。なのに、私の意思とは無関係に身体は鏡台へと近づき、開く。三面鏡に横から、前から映し出される自分自身。  嘘つき、と鏡の向こうでそいつらは笑った。  身を守る為に殺したわけではない。ただ、殺そうとして殺したのだ。自分の身を守る為でもなく、殺そうとして、殺したのだから、だからお前は。  バケモノだ。人を殺したことが後ろめたいのではない。理由もなく人を殺したバケモノであることが後ろめたいのだ。  三面鏡の向こうには、バケモノがいた。私の柔らかいところを食い破って出てきたそれは、牙を並べて笑っていた。  もう、蝉が鳴いていない。
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