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「スティーブさんめっちゃ男前よ。やっぱ英国紳士と結婚すればよかったわぁ。あんたはチャンスがあればそうしなさいよ」
写真の中のスティーブさんはゆったりとしたセータを身につけ、栗色の髪はやわらかそうにカールし、彫りの深い目元をくしゃりと緩めてとても幸せそうに私ばかりを見つめていた。小さな私の手をにぎり、嬉しそうに笑っている。私を世界に運び出すきっかけを与えてくれたのはスティーブさんだったのだ。
「お父さんが来るまでスティーブさん一緒に居てくれて、看護師さんたちもあんま似てない親子ね、みたいな顔であんたとスティーブさん見てたのよ。なんだか、あんたがスティーブさん似じゃなくて申し訳ない気がしたわ」
いや、血筋が違うから。
でも、これだけハンサムな人が生まれたての自分をこんな風に見つめてくれていたことは信じがたいほどで、どれだけ世界を知らなかった私といえども、何かしら彼の存在が自分の中に残ったのだろうなと思った。
なぜなら両親と違って私は英語が得意なのだから。
「じゃあ、しばらく私はスティーブさんに遊んでもらったんだ?」
「それがさぁ〜」
母が唇を尖らせて不満げに続ける。
「実はもう本国に帰る辞令が出た後でさぁ、あんたが生まれて1ヶ月くらいかな? 帰っちゃったのよ英国に。スティーブさんの代わりにお父さんでも英国に送っておけばよかったのにぃ」
人生なんて知り合ったと思ったら別れての繰り返しで、いちいち記憶にも残っていない別れを嘆いたって仕方ないとはわかっているけれど、写真の中のスティーブさんのやわらかな笑顔を見ていたら、それでもとても大切な出会いを失った気がした。なんとなく寂しい気配が漂った部屋の中で、母がもう一度私の写真をとりだして懐かしそうに微笑んだ。
「最後に遊びに来てくれた時ね。この服くれたのよ。英国直輸入よ。あんたもせっかくなんだからちょっとくらい笑ってくれたっていいのに。写真撮る直前までスティーブさんの歌を聴いてご機嫌だったくせに、ハイ、写真撮るよーって言ったらこの顔。まあ、気づいたんでしょうね。スティーブさんがいなくなるって。お母さんもね。ずーっと一緒に居られると思っていたから本当にびっくりだったわ」
そう言われて改めて見直してみると、ガンを飛ばしているようにしか見えない眼差しが、初めての別れに戸惑ってとにかくどう表現していいのかわからない揺れる気持ちを一生懸命に伝えようとしているようにも見えてきた。切れ長の目尻に浮かぶ涙の跡は言葉じゃ記せない思いを刻み込もうとしているようにも思えた。……なーんてね。
「まぁ、向こうでスティーブさんに会ったらよろしくね」
駅まで見送りに来てくれた母はそう言っていつも通りの笑顔を浮かべた。
「どんだけスティーブいると思ってんの? それに、もう20年前のことなんて覚えてないでしょ」
「はぁ? わかってないわねぇ。20歳過ぎたら20年なんて秒速よ秒速。きっとスティーブさんあんたのこと覚えてるから。それらしい人見つけたらその写真見せてやんなさいよ。……わかった?」
母がそんなに優しい口調で私に問いかけるのは初めてだ。
「はいはい」
わざとらしいくらいに面倒くさそうに手を振った私に手を振り返した母は、もう何も言わずに笑っていた。荷造りを手伝っていた時は、あれはカバンに入れたのか、これも持って行け、本当に一人で大丈夫なのかと散々忙しそうに騒いでいたのに。きっとこのまま向かい合っていたら私の気持ちが先に崩れると思って、ぶっきらぼうな感じで「じゃね」とだけやっと言ってホームに向かって歩き出した。
私を見送っているだろう母の姿をふりかえることはできなかった。
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