十七歳 九月

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十七歳 九月

「文化祭ですか」  繰り返した僕に、電話越しの担任は『そう』と言った。 『二年生のこの時期にね、学校に来られなくなる生徒は結構いるんだよ。でもみんな、文化祭にだけは行ってよかったというから、佐野(さの)くんも是非参加してほしいんだ』  優しい声には、こちらの機嫌をうかがう響きが滲んでいた。滑稽だと思った。教室ではあんなに偉そうにしていた人が、同じ生徒相手にこんな声も出してしまうのか、と。  午後四時三十分。学校はちょうど終了した頃だろう。外を学生の声が賑わせる中、僕は自室の真ん中を携帯電話片手に歩き回っている。  電話がかかってくる直前まで読書をしていた僕は、自分の時間を邪魔されて苛立っていた。  現実の、名前も知らない同級生との行事よりも、フィクションの人間模様のほうがよほど楽しく魅力的だった。虚構には何も恐れるものがなく、反対に現実は恐ろしいことで溢れている。 『佐野くん?』  担任教師の声が呼んだ。 『佐野くん。今はつらいかもしれないけど、君は成績もいい。何より、まだ若いからね、人生はこれからどうとでもなる』 「……」  肋骨が軋むみたいに胸が痛んだ。  現実の惨めさに息をするのが嫌になる。 「行きません」  はっきりと言った。驚くほど冷めた声だった。 『……でもね、』 「行きたくありません」  無理やり遮ってから、遅れて罪悪感が湧いてきた。唇を噛みしめる。一刻も早く電話を切って、本を開いて安心したかった。  ややあって教師は厳しいため息を落とした。 『またお電話します』  切れた通話画面を眺めながら同じように息を吐き出す。相手を拒絶し撥ね退けた罪悪感は更に大きく膨れていった。今、電話を切った向こう側で、どんな悪態をつかれていることだろうか。  そして同時に、これは面倒なことになったなと思う。  夏休みが明けてから今日までで、ちょうど二週間である。それはそのまま僕の欠席日数でもあった。いい加減電話以上の対応に出てこられるだろう。大嫌いな学校へ出向いて、大嫌いな教師と一緒に、三者面談でもさせられるのだろうか。  電源ごと落とした携帯をベッドに投げると、スプリングで跳ね返って床に落下した。ものすごい音がしたが、液晶の無事を確かめる余裕はない  自分自身も放り投げるようにベッドに腰掛け、頭を抱える格好で両目を覆った。頭の中でさっきの「行きたくありません」と『またお電話します』がぐるぐる回っている。ため息、切れた電話の音、収まらない苛立ちと罪悪感、死にたくなるぐらいの胸の痛み。  しばらくそのまま動かなかった。 「仕方ないだろう」  目を覆ったまま呻く。  亡霊のように繰り返す。  仕方ない、仕方ない。だって文化祭になんて行って、それで死んでしまったら、「これからの人生」も何もないじゃないか。
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