十七歳 九月

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 〈青春〉とは、一般に人生の春――若く元気な青年時代のことを指す。  当時十歳だった僕は、〈青春〉という言葉の意味をよく理解できていなかった。しばらくは自分が命と引き換えにしたものの正体がわからずひどく怯えたものだ。いつあの恐ろしいバケモノが現れるのかと家に引きこもるようになり、おかげでずいぶんと暗い少年期を過ごした。  どうやら〈クラガリ〉の中での「人生の春」は、単純に陰陽五行思想に基づいているらしかった。つまり、十五歳から二十九歳まで。それを青年時代とし、僕がその時代にいわゆる「人生の春」とされるような経験の一切を禁止する。そして、守らなければ殺す。  バケモノとの契約内容は、そういうものであった。  数年かけて立ち上げた仮説の答え合わせができたのは、いよいよ十五歳になってからである。僕は数年越しの回答を、実際に命の危険に迫ってから初めて知れた。  中学最後の体育祭に向け計画が立ち上がったときのことだった。放課後のロングホームルーム、ぼうっとクラス会議の行方を眺めていた僕の耳に、突然オルゴールの音が割り込んできた。  不吉な音色だった。脳味噌を直接しゃぶられているような不快感が背筋を駆け上り、僕は悲鳴を上げた。この音が自分にしか聞こえていないこと、幻聴ではないこと、そしてこれが僕にとって何かとてつもなくであることは本能的に理解できた。  死神の姿が思い起こされた。  僕は体育祭を欠席した。  あのときそれをしなかったら、どういうことになっていたのだろうか。想像するだけで恐ろしい。  オルゴールの音は警告であった。あの死神は律儀にも、僕が契約に違反しようとすると警告をくれるのだ。おかげであいつの鎌で殺されたことはない。〈青春〉を送らないかぎり、あいつは何もしてこない。  それから僕はオルゴールの忠実なしもべとなった。学校の友人も、進学先も、ひそかに思いを寄せてくれた女の子も、命の危険となるものは残らず避けた。  所属部活がちょうど引退の時期を迎えてくれたおかげで、あえて意識しないまでも交友関係は狭まった。告白の機会をうかがっていた女の子にもわざと嫌われるよう行動した。  進学先の高校は、補習と進学率を何かの宗教みたいに崇拝するところで、華々しい高校生活から大きく離れられることは間違いなかった。  手放したものたちの存在は決して小さくない。  しかし、命にはかえられないのだ。
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