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翌日
昨日からの物語の決着は、次巻に持ち越しとなった。
読書に限らず、集中すると周りが見えなくなるのは昔からの癖だ。その日も朝から休みなく読み続けた僕は、室内が暗くなってきていることに気がついてようやく本を閉じた。空腹は感じないが喉が渇いている。
キッチンへ行き水道水を一口ずつ時間をかけて飲んでから、西日が差し込む窓のカーテンを締め照明を点けた。一瞬視界が白く飛び、長時間酷使した目が怯んだように震えた。凝り固まった肩をほぐしつつ、ソファーへ身を投げる。
読後の余韻が抜けない頭で、早くも二冊目について考えている。買うべきか否か。一刻も早く続きを読みたいが、同じように考えている本があといくつかと、新しく気になっている本がいくつかある。さすがに、すべてを買うには躊躇われたのだ。
そのとき、本当に唐突に、玄関のインターホンが鳴った。
完全に気を抜いていた僕は、飛び上がって驚いた。
警戒心むき出しの小動物みたいな目で玄関を睨む。そこは薄暗いトンネルのようだ。黒く細長い廊下と、外へと繋がる扉。外から橙色の鮮やかな光が零れている。
何かが起こる予感がしていた。
ごく慎重に廊下を進み、扉のロックを解除した。深呼吸。胸をそわそわさせるこの『予感』を落ち着かせようとする。それでも忙しない心音は、僕に囁いているようだった。
何かが起こる。
何かが始まろうとしている。
ノブを回して、ゆっくりと外側に押し開いた。
途端に西日があふれ出し、僕の顔の上を滑った。金色の強烈なエネルギー光線に目が眩む。無理やりこじ開けた瞼を飛び越えて、くろぐろとした影を僕は見る。
光の粒を背負った人影だ。
それは、視界が開け目が慣れるにつれて輪郭を確かにしだした。
舞台の幕がゆっくりと開いていくように。分厚い緞帳の真ん中が裂け、向こう側にある役者の姿が徐々に現れるように。
扉の先にいた人物は、この瞬間をまるで二百年も前から予知していたような仁王立ちで腕を組んでいる。その格好で僕を見つめている。茶色い目に、いっぱいの光を閉じ込めて。
それが古崎麻琴だった。
僕は何も言えないまま立ち尽くした。彼女も何一つ口を開かない。いくつもの光を反射していっそう不思議な色合いに見える瞳が、交わった視線を捕まえて離さない。
呆けきった僕の顔が可笑しくてたまらないといった風に、やがて彼女は言った。
「なんだ、元気そうじゃないか」
「は……」
親しげな第一声にたじろぐ。
「どこかで会ったことありましたっけ」
「いや? まあ家は近所なのだが」
「はあ」
「なんてことはない。二年の不登校生が溜め込んだプリント類に、先生が頭を悩ませていたようでな。たまたまそこにいた私が配達役を頼まれたわけだ」
それだけで見知らぬ生徒の家まで来るなど信じがたい話だ。疑いの眼差しを向けると、訪問者は何やら含みのあるようなないような顔でニヤリとした。
僕は彼女のリボンに注目した。
学校指定のリボンとネクタイは学年によってカラーが分けられているのだが、彼女のそれは赤色で、赤は三年生を示す色だった。
クラスどころか学年まで違うのに、普通、それで配達役など引き受けるだろうか。
「とりあえず、邪魔するぞ」
あろうことか三年生は、家の中へ入ろうとしてきた。
「なんですか。ここで受け取るだけで十分……」
「暑い。一度涼みたい」
そうして僕を押しのけ上がり込む。
「君の部屋は?」
「……そこの扉です。あの、散らかってるんで」
「構わん」
友人宅へ遊びに来た態度と変わらない。あまりにも堂々としているせいで、自室へ入っていく背中をそのまま見送ってしまった。
とにかくプリントを受け取ってなるべく早く帰ってもらおう。
どんな理由であろうと人と関わるのは危険である。まして相手は同じ学校の先輩で、異性だ。〈青春〉とみなされる明確な基準はわからないが、だからこそ近づいてはならない。
とはいえ、この炎天下の中わざわざ届けに来てくれた人に、お茶の一つも出さないのは失礼だろうか。
僕はキッチンで冷えたお茶と菓子を用意して、エアコンを稼働させた。
この家は涼を取るには少し暑い。
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