始まりの日

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    避難所の市役所が近くで助かったと、逃げ込んだ時にはもう施設の中は人でごった返していた。  親が噛まれたと泣く人、逃げた時に転んで顔から血を流してる人。子供が無事だったと抱きしめ泣く人。  ザワザワと蠢く大量の人は、ぞわりと鳥肌が立つほどである。その負のオーラしか立ちか込めていない空間の中で、二人は呆然と立っているだけだった。 「怪我された人ー!! こちら救護班です!!」  その大きい声に華はハッとする。呆然としている雄太の手をグイと引っ張る。 「足首。診てもらってくる……」 「ああ、そうしよう」  その案内の言葉にハッとされた人は多く、救護班のあるブースへとひとがまるで移民の移動のようにゾロゾロと移動した。雄太は、役所の人に状況を確認してくるといい、診療が終わったら落ち合うことになった。  長蛇の列ができている最後尾に華がならぶ。目の前はハンカチで首を抑えていた。そのハンカチは、血滲んでいる。もしかして、噛まれたのだろうかと勘ぐるとともに、自分の足首を見ると少しだけ血が滲んでいること気がつく。まさかね、と華の心臓がばくばくと脈打つのであった。  何十分経っただろうか、あと2、3人で医者のところにたどり着けると言う所で、前に並んでるひとがガクガクと痙攣しだした。先ほどまでハンカチで首を抑えていた手を急にぶらりと投げ出し、首はクタリとする。  その首にはくっきりと、歯型がついていた。 「ヒッ!」  頭だけガクガクと痙攣する姿に、周りの人はその人を中心に避けていき大きな円になった。 「ア……ア……イタィ……」  目は充血し、ヨダレを垂らす姿にどこからか悲鳴も上がる。不規則にガクンガクンと進む姿に、悲鳴が絶えない。 「どいてください!!」  うしろからそう聞こえると、何人かの警察官がさすまたを持って駆けつけ、思いっきり倒した。フローリングの床に思い切り頭や腰をぶつけるも、何も言葉を発さずに、唸り続けていた。華はその様子に顔をしかめる。手を血で鳴らしながら呻く人を、容赦なしに押さえつけている様子は衝撃映像以外の何者でもなかった。  手と足、そして口をガムテープで塞ぐとその男性は担架に乗せられはこばれていった。担架の上でまだビクビクと動いている。一瞬の出来事があったが、周りは依然、ザワザワとざわついていた。まだ、あたりの空気が重く、不安と疑いで満ちている。 「うそでしょ……」   華は自分のジーンズをギュ、と掴んだ。自分の足首が、自分のものではないように、どっしりと重くなった。それでも、列は続き、進んでいく。一歩進むごとに希望と不安がせめぎ合い、肩で呼吸をする。 「はい、どうしました?」  白衣を着ている医者の向かいにある椅子に座り、少しだけジーンズをたくし上げた。少しだけ血の滲んだ傷跡を晒す。 「……すこし、ひっかかれてしまって」  そういうと医者は、はいはいと手早く消毒をしガーゼを当てた。消毒液に少ししみたが、いまはそれより気になっている事がある。 「あの……ゾンビになったり……しますか?」  華は医者に恐る恐る聞くと、ガチャガチャと次の準備を始めながら言った。 「まだね、わからんのだよ。噛まれると、ほら、ああいう風になっちゃうみたいだけど」  ちらりと、先ほどの男性が運ばれた部屋にチラリと目をやる。その部屋の前だけ、なにか結界でも貼られているように人は近づかなかった。 「なんせ今日の朝方におきた出来事だからね。ウイルスなのか何なのかも分かっとらん。噛む以外に‘‘ああ’’なることがあるのかも分からん」 「はあ……」 「だから君もああなるかもしれないし、大丈夫かもしれない」  分からないこと尽くしなんだよ。と医者はいう。  大丈夫じゃないかもしれない。その言葉にまた不安を掻き立てられたような表情が医者に伝わったのか、医者は、目を伏せ器具を整理しながらつぶやいた。 「もしもの事が君にあっても、この程度なら進行も遅いだろうよ。その間に、医学会の権威たちが薬を作るさ」  その言葉で、不安が全て取り除かれたわけではない。しかし、ほんの少しだけ安堵した華はありがとうございましたと、雄太の元へ向かった。医者の傍に立つ看護師が、耳打ちをする。 「いいんですか、あんな適当なこと言って」  まだまったく分からないんでしょう、と呟く。 「こういうときは、希望が大事なんだよ。もし、必ずゾンビになりますと言って、些細なことも気にしてしまう 」  逆プラシーボみたいなものだよ、と言った。大量の人のざわつきで聞こえないが、男性が先ほどの運ばれた部屋から、耳をすますと依然うめき声のようなものが聞こえる。男のものなのか、“何者”なのか。看護師は顔をしかめるしかなかった。
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