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「落ち着いたみたいで、いま見に行ったら寝てました」
「そう……よかった」
小さな部屋で、カタカタとパソコンを打っている。華の部屋のようにベッド、それとパソコンを置くための簡素なテーブルだけの部屋に、軽快な機械音が響く。笹川の指は驚くほど早くキーボードを叩いていった。明るい画面はメガネに反射して、笹川の瞳は見れない。
「ほかの研究者さんも寝てますよ、また倒れる前に笹川さんも休んで……」
「……これが終わったら」
以前なら、休めるわけないじゃないと突っぱねるところ、すっと聞く笹川に森宮は驚いた。
「コーヒーでもいれましょうか」
「大丈夫」
タン、とエンターキーを押すと、眼鏡を外した。反射して見えなかった瞳は、大層疲れているように見える。短くため息を吐いた。
「座ったら?」
部屋の端にある、簡素な椅子を指差す。
「でも、もう寝るんじゃ」
「まだ寝れないから」
そういうと、明るい光を放っていたパソコンをパタリと閉じた。薄ぼやけた蛍光灯だけが2人を照らした。それならと、軽いパイプ椅子をテーブルまで引っ張り笹川の目の前に座る。疲れた目は下を向いて、睫毛は伏せる。
「……お疲れですね」
「それはあなたもでしょう」
「笹川さんほどじゃ……笹川さんより疲れてたら、守れないでしょう」
「……そうね、守ってもらわないといけないもの」
細い黒髪を、耳にかける。いつも先頭を切り指示をしている笹川が、一回り小さく見えた。いや、もともと小柄ではあるのだが、森宮には、いまの笹川は少し腕を広げれば全てつつみこめてしまうのではないかと思うほどだった。
そんな少し邪な考えを振り払うかのように首を振り、そんな考えを勘付かれないように笑顔を笹川に向けた。下手な笑顔であったが、森宮はこれで大丈夫だと本気で思っている。
「……急に笑って、どうしたのよ」
「えっ、な、なにがですか?」
「何がって……」
「いつもこうですよ、ねっ」
「いつもって」
変な人、と笹川は微笑んだ。なんだか、困ったように眉を垂らしながら、細い指を口に当てながら。
その、今までとは違うやわらかい雰囲気に、大きく心臓が跳ねた。
「……すこし、目をつぶっていてくれるかしら」
「?はい」
「できれば体の神経すべて断ち切ってくれるといいのだけど」
「そんな無茶な……」
なにをされるのだろうか、注射か、殴られるのか。また、なにか逆鱗に触れたか?と勘ぐる森宮の閉じた瞳に力が入る。
「あの、なにか言ってしまったのなら謝りますので」
「うるさい」
「はい!」
くる! と、閉じたまぶたを力一杯締める。
とん、と森宮の厚い胸板に、柔らかいものが当たった。
……なんだ?と森宮は一瞬パニックになった。……笹川の頬だろうか、胸板に寄りかかっているのだろうか。森宮は目をつぶっていてわからなかったが、拳や針ではないことは当然ながらわかった。
「さ、笹川さん?」
「黙って……」
「はっすいません」
胸に感じる温もりに触れてはいけないような気がして、まるで強盗に指示されたように両手を上げていた。
思わぬ感触に心臓を跳ねさせながらも、ただ、やわらかい感触だけが伝わった。部屋には、沈黙が流れる。
「うるさい……」
「え、なにも……」
ただ、布越しの柔らかい顔の感触に、森宮はぐっと拳を握った。黙れと言われている以上なにも言えないし、目を瞑れと言われている以上、状況も把握できない。
「心臓の音、うるさい……」
心地いい
そう唇から漏れる前か、もう溢れてしまったか、笹川の口からは、寝息が漏れていた。
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