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「……あ、もしもし、ゆうくん?」
華は、ベットだけ置かれている部屋でボソボソと携帯電話に語りかけた。廊下に音が漏れないように、マイクを手で覆っていた。
『華、電話して大丈夫なの?』
「うん、少しならいいって……」
『体調はどう?』
大丈夫だよ、と静かにささやいた。電話越しの雄太の声は、なんだか別な人の声にも聞こえる。同棲してから電話をすることがなくなったこともあり、耳元で聞こえる声はくすぐったかった。無意識に口角も上がった。
「ごはんは食べれてる?」
『ああ、やっと少しずつ配給がきて……華は?』
「うん、食べてるよ。でも、なんだか申し訳なくって」
『どうして?』
「なんにもしてないのに、いさせてもらって……」
そんなこと気にしなくていいんだよ、と雄太は言った。華はそうかなぁと呟くと、足をさすった。ひんやりと冷える皮膚を擦って温める。
『なんか、久しぶりに華の声聞いたら安心した』
「……私も、安心した」
『なんかくすぐったいなぁ』
「ふふ」
きっと華が電話したのは、他でもなく、雄太に言わねばならないことがあったからだ。口の端から、ツウ、と唾液を垂れた。
筋肉が弛緩しているからか、声を出すのも精一杯だった。笹川は、これを薬の副作用と言う。……笹川さんは優しい人だ、嘘をつけない。華は、笹川の、あまりの嘘の下手さに、困った様に笑ってしまった。
華は冷たい足をさすりつづけた。
「ゆうくん」
『どうした?』
別れようか
華はその一言が言えなかった。筋肉が緩んで、言葉が出しずらいからじゃない。ただ、喉が締まった。心が締め付けられる。ただ、その五文字が出ない。
華は、もう分かっていた。この口の緩みも、足の冷たさも、少しの息苦しさも。自分の体は、自分がよく分かる。
タバコを吸いにいく人々の、廊下から聞こえる話は、常にネガティブで、成果が上がった話さえない。
「あ……」
『ん?聞こえずらいよ』
ヒュ、と喉が短く鳴る。息が苦しい。酸欠の魚の様に、口をパクパクと開けた。気を抜いて声を出せば、汚い音が出そうだ。まるで、街を徘徊している……認めたくはないが、そんなような音だった。
引き締めろ、私はまだ人間だ。
「ゆう、くん」
『どうした?』
まだ私が人間のうちに、離れてあげるんだ。そうしないとゆうくんが前に進めない。……私はもう、一緒に前に進めそうにないから。
華の太ももに、液体が垂れる。唾液ではない。涙が顎を伝って滴る。力の入らない口角を、親指で押し上げた。ここで止まれ、止まれと願いながら何度も押し上げる。
「あの」
『華』
はっきりとした声は、華の耳にまっすぐ届いた。
『待ってるからね』
その答えに、はい、以外の答えはなかった。ああ、なんてひどい事をさせる人なんだ。分かれて仕舞えば、ゆうくんの重荷だってなくなる。楽になれるだろうに。ゆうくんも、私も。華は、小さく、うん、と答える。
パタリと通話が切れれば、携帯はベッドにバウンドした。
「ごめんね……」
濁った声だけ、部屋に響いた。
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