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終章 涅槃 -1
柔らかいものが、俺の口を覆っている。
薄らと目を開くと、俺に覆いかぶさって目を閉じている娘の顔が見えた。
娘は俺の頭を膝に乗せ、両手で抱きかかえて己の唇を俺の口に押し付けていた。
辺りは暗く、しんと静まり返っている。
他に人の気配は感じられねえ。
ここは何処だ。村じゃねえのか……。
俺は何が起きているのか判らず、娘の顔をじっと見つめた。
娘は俺の意識が戻ったのに気付くと、唇を離し、ホウと息を吐いた。
撫子……。じゃねえ。
「お前、何してんだ」
「漸く目覚めたか。やれやれじゃ」
蓬子はそう言って、ニッコリと笑った。
「やれやれじゃねえよ。餓鬼が何してんだって聞いてんだ」
まだ頭がはっきりしねえ。
一体何がどうなって、こんなことになってるんだ。
「餓鬼とは何じゃ、しゃんと名で呼ばぬか。
まったく、無礼な奴め。命の恩人に向かって、なんという口のきき様じゃ」
「恩人だと?」
「そうじゃ。ぬしはあの山津波に呑まれ、死んでしまいよったのじゃぞ。
死にかけなどではない、心の臓まできっちり止まっておった。それを我が泥水の中から救い出し、こうして命を吹き込んで黄泉の国から連れ戻してやったのじゃ」
俺は、あの時の事を思い返した。
そうだ……。山津波が怒涛となって襲いかかってくる直前、俺はあの大猿の首をぶった斬った。
あいつ額に光剣を突き立て、その首がボロ屑のように崩れていくのを確かにこの目で見、その直後、俺は土砂に呑まれて……。
「あの野郎は、本当に死んだのか……」
「あの化け物か? うむ、ぬしがあの者に止めを刺したところを、我と撫子姉さまも見ておった」
二人で見ていただと? あの修羅場で、一体どこから。
「その後、ぬしが土砂に飲まれるところもな。それで姉さまがぬしを助けよと我にお命じになられたという訳じゃ。
どうじゃ、礼を言うなら遠慮はいらぬぞ」
何を言ってやがる、こうなったのも全部お前の……。
いや、でもまあ。あの時こいつがああしていなかったら、今頃はどんな事になっていたか。
そうか、また生き延びちまったのか。
あーあ……。
「余計なことをしやがって」
ボソリと呟いた途端、蓬子が鼻面を思いっきり殴り付けてきた。
「ぶあっ!」
いくら俺でも、無防備なところをやられては堪らねえ。目の前に星が飛んだ。
「て、てめえ何しやがる」
だが蓬子は、冷ややかな目で俺を見下ろす。
「余計なことじゃ? なれば今一度殺してくれようか」
「てめっ」
「どうじゃ、殴られれば痛かろうが。非力な我とて、急所を突けばぬし一人くらい殺すは容易いぞ」
「誰が非力だ。熊並みの馬鹿力のくせしやがって」
「乙女に向かって熊並みとは、どうやら本気で死にたいらしいの」
そう言いながら、蓬子は俺の股間に手を伸ばすと、金玉をギュッと握り締めた。
「ギャアーッ!」
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