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き
朝から頭痛と悪寒に襲われ、バイトを休むことにした。四日前、玉井さんと出会った次の日から体調が優れなかった。ベッドの上で厚い布団に包まりながら、独りで見上げる天井はいつもより白く見えた。
やっとの思いで見つけた体温計は壊れていた。体調を崩したのは5年ぶりくらいだった。5年前体調を崩し寝込んでいた時は、両親の声とテレビの音が部屋の外から聞こえていた。
今はしんとした部屋でひとり、苦しさと闘っている。けれど皮肉にもこの苦しみが、自分が生きていることを何よりも伝えてくれている気がした。
何の希望もなく石のように生きることより、今みたいに苦しみながら生きる方がよっぽど有意義ではないだろうか。そう考えると、この苦しみに快感すら覚えた。
頭の上の携帯が鳴った。僕は重い腕を動かし手に取った。
『村本です。体調大丈夫?』
村本さんからのメッセージだった。この数時間完全に忘れていた温もりを少しだけ感じた。
『大丈夫です。心配ありがとうございます』僕はすぐにメッセージを返した。
『良かった。お大事にね!』
すぐに来た返信の文の奥に村本さんの姿が見える気がした。僕は息を丁寧に吐き、携帯の画面を消す。本当にありがたかった。どうして僕なんかのためにここまでしてくれるのだろうか。面倒で、鬱陶しくはないだろうか
。
考えれば考えるほど、ネガティブな思考が増えていく。僕は慌てて考えるのをやめた。
ピンポーン
突然、インターホンが鳴り響いた。心当たりは何もないので、居留守をすることにした。すると、少したってからもう一度インターホンが鳴った。僕は仕方なく鉛のように重い体を起こし、インターホンに出た。
「はい」
「あ、出た。どうも玉井です」
その声を聴いた瞬間、僕の身体の機能が全て静止した気がした。夢だろうか。「玉井」という三文字が頭の中を駆けまわっている。
「おーい、大丈夫?」
黒いインターホンから、黄色い声が聞こえてくる。それは四日前に初めて聞いた声と同じものだった。
我に返った僕は急いで玄関に向かった。そっとドアを開けると、僕の知っている玉井さんが驚いた表情で僕を見つめた。
「ちょっと、顔真っ赤じゃん!」
そう言うと、玉井さんは強引に家に入り、僕のおでこを触った。冷たく柔らかい感触に心臓の拍動が増した。甘い香りが僕の鼻に触れた。
「熱い。すごい熱だよ。熱測った?」
「いや、体温計壊れてて」
そう言った僕の声の掠れ具合に自分でも驚いた。
玉井さんは深刻そうな表情のまま、手に持ったビニール袋から冷却シートを取り出した。
「よかった買っておいて」
そう言って彼女は僕のおでこにシートを貼った。その前に触れた彼女の手の方が冷たかった。
「はあ、生きてて良かった」
彼女はそう言って、その場に座りこんだ。
「まって、そこ汚いよ」
僕は慌てて言った。玉井さんは全く気にしていない様子で無視をした。
「どうして一回目で出てくれなかったの。心配したよ」
彼女は頬を膨らませて僕を見た。
「だってまさか玉井さんだとは思わないし」
僕がそう言うと、彼女は少し納得したように頷いた。シートのおかげか彼女のおかげか、朦朧としていた意識が徐々に回復してきた。
「ここ寒いね。身体冷やしたらだめだよ。部屋入ろう」
彼女は立ち上がりそう言った。
「いや、それは…」
「大丈夫、変なことはしないから。これ渡すだけのつもりだったけど、もう心配で帰れない」
玉井さんは強引に部屋に入った。僕も仕方なく付いていく。自分の家なのに。
つい数日前に初めて会った人とは思えなかった。目の前の光景を未だに整理することができない。なぜ玉井さんが僕の所へ来たのだろうか。第一、なぜ僕のアパートの場所を知っているのだろう。
「あの、玉井さん、一回整理してもいい?」
「何を?」
「えっと、今起こってることについて」
僕がそう言うと玉井さんは僕の部屋を少し見回した後、再び僕を見た。
「ごめん。強引過ぎたよね。ちゃんと説明する」
玉井さんは部屋に立ったまま経緯を説明してくれた。彼女は急用ができてしまった村本さんの代わりに差し入れを僕のもとへ持っていくことになったということを話してくれた。住所も村本さんから聞いたらしい。
「村本さんから連絡あったけど、何も言ってなかったよ」
疑っているわけではないがそう聞いてみた。
「橘君に伝えちゃったら、変な遠慮されるから内緒にしてたんだって」
そう言う事だったのか、と僕は心の中で呟いた。村本さんは僕のことをよく理解している。
「橘君、顔真っ赤だったから、つい焦ってしまって。ごめんね」
萎んだ花のように玉井さんの頭が垂れ下がった。暖房の熱と生活臭の籠る部屋に、僕以外の人間、しかも女性がいるという事実が徐々に光を伴い鮮明に僕の脳内へと伝わってきた。心臓が動く振動が全身に響き渡る。
「何はともあれ、助かりました。本当にありがとう」
僕がそう言うと、彼女は優しく微笑んだ。
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