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玉井さんが僕の家に来てからどれくらいが経っただろう。空になったお椀を見つめる僕と、部屋を見回す彼女の間には森の奥深くのような静けさが広がっていた。
スープのおかげか、体のだるさも軽くなり、驚くほどに体調が回復していった。ふと僕が彼女を見ると同じく彼女の視線も僕にぶつかった。気まずくなった僕は慌てて目を逸らした。
「あのさ」
彼女がそっと口を開く。僕は恐る恐る彼女の方に視線をやった。
「橘君のこと、もっと知りたい」
彼女の瞳が真珠のように光った。きゅっと結ばれた唇が少し震えている。
「僕のこと?」
「うん」
彼女の視線はずっと僕に注がれている。僕は一つ息を吐き、唾をのんだ。彼女が僕の何を知りたいのか、わかる気がした。
「僕、少し前まで大学生やってたんだ」
少し間を開けて、小さく弱弱しい僕の声が部屋に放たれる。煙のようにゆらゆらと、玉井さんのもとへと流れていく。
「途中でやめたってこと?」
彼女の言葉に、僕はそっと頷いた。そして、両親の死について、その後の自分について全て話した。彼女はただ相槌を打つだけで静かに聞いていてくれた。彼女の柔らかい表情はとても心地が良かった。
「ありがとう。ちゃんと話してくれて」
彼女の声が僕の胸をすり抜けていく。
「いいえ。あんまり気遣わないでね」
僕はそう言った。店長や村本さんに必要以上に気を遣われていた時のことを思い出た。
割れそうなガラスに触れるかのように扱われる辛さをまた経験することになってしまう。そう思うと、目の前の玉井さんが牙を剥いたライオンのように見えた。
「今日の占い見た?」
突然、玉井さんがそう聞いてきた。
「そういえば、見てないや」
僕がそう言うと、玉井さんはニヤッと笑った。
「順位はまさかの最下位、過去の話しをしすぎるとあまり良い一日にならないかも…だってさ」
彼女はいたずらな笑みを浮かべたまま、僕を見た。彼女のその無邪気な声が、僕の心をそっと刺激する。
気を遣わないどころか、割れそうなガラスに容赦ないパンチを遠慮なく食らわす彼女は、荒野に君臨するライオンのように勇ましく、格好良かった。そして、誰よりも優しかった。
「ラッキーカラーは?」
彼女の笑顔に導かれるように僕はそう聞いた。その声は自分でも驚くほどに弾んでいる。
「オレンジ。だからこれ買ってきた」
そう言って彼女はテーブルに蜜柑を置いた。
「食べて開運しよう」
彼女はそう言うと間髪入れずに蜜柑の皮をむき始めた。僕はその姿をじっと見守った。かわいらしい容姿からにじみ出る彼女の力強さに見惚れてしまった。
「百獣の王なのに最下位ってどうしてよ」
彼女は眉間に皺をよせ八重歯を覗かせながらそう呟いた。
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