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「寒いねえ。見て、すごい出る。」
玉井さんが丸く口を開けて白い息を吐いている。
「雪って、傘あんまり意味ないよね。」
僕は傘の下から風に舞って顔にあたってくる雪を払いながら言った。
「わかる。風で流れてくるからね。」
「そんなに積もってなくてよかったね。」
「うんうん。でもさっき何回か転びそうになったよ。」
玉井さんが笑いながら言った。彼女の艶々した笑顔はしっとりとした雪の日にも似合うことが分かった。
「もうすぐ電車来るよ。」
少し遠くから踏切の音が、冷たい空気をたたくように聞こえてくる。僕たちは金属音を鳴らしながらのっそりと入ってきた電車に乗り込んだ。
隣に座る玉井さんからいつもの甘い香りがほんのり漂ってくる。いつもより化粧が濃く、ベージュのダッフルコートを着た彼女を見ると、なぜか少しだけ緊張した。彼女は窓の外の淡い雪景色を見つめている。その表情はどこか弱弱しく、普段の彼女とはどこか違う雰囲気をまとっていた。
僕は彼女のきれいな横顔をこっそりと見つめていた。振り向いた彼女と目が合い、全身が熱くなった。彼女はにっこりと微笑み、再び窓の外に視線を移した。
電車の中は張り詰めた雪の日にふさわしいくらいに静かだった。新聞や本を読む人やイヤホンをつけ携帯をいじる人達はまるで死人のように座っている。彼らを見ながら、僕は自分の存在を確認する。手を動かし、瞬きをしながら息をする。こんなに冷たく鼓動を感じられない白い世界でも、なぜか僕は生きている。その事実が僕の心臓を噛み砕く。
心の奥で自分の生に失望した瞬間、隣の玉井さんが目に入った。ある日の彼女の言葉を思い出し、胸を痛めた。普段、生きたくないなんて簡単に思えるのに、彼女の前ではなぜか難しかった。
アナウンスと共に、電車の速度が徐々に落ちていく。目的の駅に着いた時には雪はもうほとんど降っていなかった。駅に少し積もった溶けかけのみずみずしい雪が寂しそうに見えた。
「雪止んだね。」
玉井さんの弾んだ声が隣から聞こえた。僕はそっと振り向く。
「なんか寂しいや。」
僕の言葉に反応した玉井さんが目をぱっと開いた
「橘君がそんなこと言うなんて珍しい。」
「そう?」
「うん。」
「なんか恥ずかしいな。」
「それに、今日の橘君、ほわほわしてるよ。」
「ほわほわ?」
「なんというか、いつもより柔らかい感じ。」
玉井さんの真っすぐな視線に顔を隠したくなる。耳の後ろが熱くなる。めまいを起こしそうだった。体が宙に浮いているような不思議な気分になる。
「今日の占い見た?」
僕は無理やり話題を変えた。彼女に今の自分の心情を見透かされているような気がして耐えられなくなったからだ。
「その話、電車乗る前にしたじゃん」
玉井さんが頬を膨らましながら言った。その瞬間全身に熱が回った。周囲の雪が溶けてしまうのではないかと思うほど体が熱い。占いの話をした淡い記憶と共に、普段より綺麗な彼女に見とれていた鮮明な記憶がよみがえった。
「ごめん。ボケてた。」
「もう、にわとり橘って呼ぶよ。」
彼女はぶすっとした顔でそう言った。その表情が何とも言えず愛くるしかった。
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