自分

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 目の前の線路に電車がゆっくりと通りすぎた後、多くの高校生が駅の駐輪場に集まってくる。もうすっかり夜が訪れ、駅の優しい明かりがあたりを照らしていた。  この公園は僕が小学生の頃に新しくできた公園だった。公園ができる前に何があったかはもう覚えていない。すり減って禿げた芝生や、ベンチの錆びから時間の流れを感じる。 「カミングアウトしていいですか」 泣き止んで、冷えたココアを不味そうに飲んでいた梓ちゃんが急にそう言った。 「い、いいけど…」 「じゃあ、遠慮なくします」 梓ちゃんの言葉に合わせて冷たい風が肌にぶつかった。梓ちゃんの薄い唇がそっと動く。 「私、晴さんのこと好きでした」 しんと静まり返った駅に、彼女の声が金属音のように綺麗に響いた。心臓の拍動がゆっくりと激しくなるのを鮮明に感じる。僕は目の前のアスファルトをただ見つめることしかできなかった。 「あ、でも、もう四年も前の話ですよ」 その言葉を聞き、僕は我に返った。彼女の言っていることが分からなかった。僕と彼女が初めて出会ったのは一年前だ。意味が理解できない僕はそっと彼女の方を見た。彼女はいつもの明るい笑顔で僕を見ていた。 「四年前って、どういうこと?」 僕は思考を絡ませたまま、そう聞いた。 「晴さんって北中出身ですよね?」 北中、という一言で、学ラン姿の自分がすぐに思い浮かんだ。 「そうだけど…」 「北中サッカー部背番号一番橘晴選手。ポジションはゴールキーパー」 梓ちゃんが熱い視線を僕に向けながら、力強くそう言った。彼女の眼差しが、僕の過去の中に入り込んでくるようだった。けれど、四年前の彼女の姿は、僕の記憶には存在しなかった。 「きっと晴さんは当時私のことは知りませんよ。私、南中出身ですから」 彼女の言葉に少しだけほっとした。交流があったのに忘れていたのなら、彼女に目を向けられなくなるところだった。 「でも、少し残念です。私、いつも試合見に行ってたんですから」 彼女は頬を膨らませると、僕から顔を逸らした。 「本当に?」 「はい。ファンだったんですよ晴さんの。中央スタジアムの芝生の上で活躍する晴さんが本当にかっこよくて。それでしまいには恋してしまっていたんです」 「嬉しいな」 「本当に追っかけてましたよ」  そう言う彼女の横顔を見て胸が熱くなった。「輝いていた」「恋」という言葉がやけに頭で響いている。あの頃の僕は確かに輝いていた。梓ちゃんの記憶にその時の僕がいることだけで、もどかしくなった。
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