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涙がこみ上げた僕の気まずさを紛らわすように客足が急激に増した。接客や雑務に追われ、気づけばもう三時間が経とうとしていた。玉井さんが帰る時間だ。
「今日はありがとうございました。」
玉井さんが丁寧に頭を下げた。ふわりと揺れた髪の毛から甘い香りが舞った。
「いいえ、僕は何も。玉井さん、すごい仕事できるね」
「嬉しいこと言ってくれるね。ありがとう」
玉井さんが微笑んだ。雪山のように白い八重歯が覗く。
「玉井さん、お疲れ様です」
バックルームから店長が出てきた。玉井さんは僕に小さく手を振り、バックルームへと消えていった。
「晴、今日なんか良い顔してんな」
入れ違いで入ってきた二つ年上の光枝さんが僕の顔をまじまじと見て言った。
「そんなことないですよ」
僕は冷静を装って言い返した。緩んだ表情から心の奥まで覗かれているような気がして恥ずかしかった。
「てかさ、新人の子かなり可愛くないか」
光枝さんが、にんまりとしながらひそひそと言った。僕は扉の奥にいる玉井さんを想像した。頭の中で彼女のライオンのような笑顔がそっと光った。
「素敵な人ですね」
僕の声がふわりと宙を舞い、光枝さんの大きな体にぶつかった。
「おい、まさか、だから今日のお前は…」
彼が言い切る前に僕はレジカウンターから飛び出た。その時、バックルームの従業員出入り口から玉井さんが出てきた。
「あ、橘君お疲れ様!」
彼女はそう言うと、レジに立つ光枝さんにも笑顔で頭を下げた。光枝さんの表情が溶けたアイスクリームのように緩んでいる。玉井さんはそのまま店を出た。彼女の後姿は青く晴れた空に優しくなじんでいた。
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