0人が本棚に入れています
本棚に追加
レンガを積み上げ作られたのは、質素だが巨大な城。
その窓から見えるのは、茜に染まり始めた空――と、途切れることなく空へと登る白い煙。
いつかには、馴染みのない、青の少ないの空に寂しさを覚えたが、今となってはその過去を思い出して「懐かしいな」と笑みが漏れてしまう。
そんな懐かしさにほんの少しむず痒いような感覚を覚えながら、俺は迷いなく進む――この城の、主の部屋へ向かって。
今となっては大昔――ここに派遣されたばかりの頃には、想像すらしていなかった。自分が、庶民の出の新兵が、城の中に入ることを許される――なんてこと自体。
だから昔は城の中に入るだけでドキドキというか、ソワソワした。今まで自分が生きてきた世界とはまったく違う世界に、そして自分とはまったく違う存在に。その不安感からくる緊張は、たぶん劣等感と不審。
自覚はなかったが、俺は城に敵対心のようなものを持っていたんだろう。貴族が庶民たちを顧みることはない――そう、心のどこかで。
でも、俺の想像は間違っていなかった。
庶民を奴隷か家畜かみたいに思っている貴族はいくらでもいた――
――ただ、この城にはそんなことを思っている貴族はいなかったけど。
そしてその理由っていうのは至極単純で、そんな魔族然とした傲慢な考えを、この城の主であり、この地を預かる領主でもある――憤怒の王が許さなかったから、だ。
「姐さーん」
通路の奥にどでんと鎮座するどデカい鋼鉄の扉――の横にある、紋章の描かれた暗い緑色のパネルに手をやり声をかければ、それに応えるように鋼鉄の扉――の中にある小さな扉が横にスライドして、それがデカい方の扉に収納されることで、通路と部屋を隔てていた扉が開く。
…常々思ってんだけど、デカい扉って必要か??
もう数え切れないくらいこの部屋に――この扉の開閉を見てきたけれど、今まで一度もデカい方の扉が開くところも、開いていたところも見たことがない。
機材とか物資の搬入は大抵下の階からだし、今俺が通り抜けた扉も3m強は高さがあるから大体はこれで事足りる――ってことは、このデカい扉は無駄ってことになる。…無駄を嫌う姐さん――の、部屋の扉なのに。
「わざわざ悪いわね」
「なに言ってんだよ。ヒマなヤツが動いた方が効率的――だろ?」
「…それ、アンタが言うのもどうかと思うわよ?」
わざわざと言う姐さんに、いつか聞いたセリフをそのまま返せば、姐さんは少し呆れたような様子で苦笑いして「どうかと」と言う。
…まぁ、姐さんの言いたいことはわかる――だってそれはいつかの俺も思った事だから。
魔王がヒマなワケがない――そう思ってるのはアンタだけだよ!、と部下だった俺は。
「……姐さんに比べれば俺はヒマだよ――てか、だから『おつかい』引き受けられてんだし」
「そういう話、なのかしらねぇ~。そもそもアンタしか引き受けられなかった――ってだけじゃないの?」
「…………それは…そう、だけど…」
「だから『悪かった』って言ってるのよ――無茶な注文をした、ってね」
そう言って、姐さんは苦笑する――ほんの少しばかり、申し訳なさそうに。
…おそらく、無茶な注文をしたことに対しては、姐さんは本当に申し訳なく思っている――んだろうけど、たぶんその程度はめっちゃ低い。
元部下だったんだからこれくらいのことは融通されて当然――ってことじゃなく。これはギブアンドテイクだ――と、見抜かれているから、…だろう。
自分の思惑は見透かされている――と自覚して、なんとなく居心地が悪くなって姐さんから視線を逸らす――と、姐さんはどこか楽しそうに「まぁ座りなさい」と言って、逆に執務机から腰を上げる。
そして執務机より後ろのスペース――その手前の整頓された応接用のエリアとは真逆の、とにかくものだらけの作業エリアへと移動する。
それを視線で追っていると、カチャカチャと食器が触れ合う音が聞こえてくる――ということは、俺の話を、聞いてくれるってことなんだろう。
姐さんに促された通りに応接用のソファー――じゃなくて、作業エリアの奥の方に作られた休憩スペースにあるソファーに腰を下ろす。
…相変わらず作業場だけはぐちゃぐちゃだな――と、呆れと一緒に懐かしさを感じている――と、ふとテーブルの上に広げられた設計図らしきものが目に入った。
「姐さん…これは?」
「んー?……ああそれ?それはアレ、新しい魔機亡――農耕特化の、ね」
「……………」
「くくっ…なんつー顔するのよ」
「……こんな顔にもなるっつのっ…こんなモン作られたら……!」
魔法と機械で亡者の肉体を改造して作られる魔動人形・魔機亡――は、元は亡者より優れた武力として広まった。
でも今は戦闘じゃなくて、輸送や建築、そして工業での労働力として普及している。
…ただそれは、この領地に限ったコトで、他の領地じゃ全然普及していない――けど、その利便性は広く認められている。
初期経費さえ安ければ、もうとっくの昔に全領地で普及してるくらいに。
…でも、そうなっていないのは、魔機亡の開発者である姐さんが意図的にそれを避けているから――その技術を、魔機亡という優れた労働力を武器にするため、だ。
悪魔を雇うよりも安いコストで、悪魔を雇うより良く働いて、文句も言わない魔機亡――を、農業に使うなんてなったら……一体どれだけの連中が仕事を失うことになるだろう。
…それに、安いコストで大量生産が可能になれば、人力で細々とやっている小さな農家は軒並み潰れてしまうだろう。
…そんなことになったら、また逆戻りだ。
あの荒んだ社会に――生きることに精一杯で、生きる価値のない地獄に。
「……はぁ~~~だから、アンタには難しいって言ったのよ」
「、ぇ」
「農業ってのはねぇ、欲のあるヤツがやらなきゃ成功しないのよ――貪欲に、より多くの収穫を、より旨い収穫を――ってね」
「……」
「…まぁ、今アンタが考えているような状況にできないこともないけど――それは、地上で戦争が起きたら、よ?」
「……………」
「今と同等の労働力を魔機亡で賄うとなったら、小国2~3か大国1つ分の死体がないとねェ?」
ニヤニヤと、イヤな笑みを浮かべながら姐さんは恐ろしいことを言う――…が、姐さんが争いの扇動を自らどうこうすることは絶対にない、から恐ろしいことはない。地上のことにしても、魔界の労働力問題にしても。
…でも後者に関しては、今に限ってのハナシ――だろう。
農耕特化の魔機亡が完成してしまえば、必然的に労働力の需要は――
「――ところで、そっちの調子はどうなのよ?」
「ぇ……ちょ、調子、って??」
「農業の調子――よ。『味が薄い』ってラオが不満そーな顔してたわよ?」
「ぅ……マジか…」
マグカップを乗せたお盆を手に休憩スペースやってきた姐さんに、急に話題を変えられて驚いた――けど、それ以上に問題なのは、土の精霊であるラオさんがグルマンディーズ領で作っている作物を「味が薄い」って言ってるってこと。
やっと栽培方法が確立されたことで、生産量が安定してきた――から、今後は作物の品質も向上させていこうと意気込んでたってのに……これは、士気の下がる話だ…。
「…収穫量は全体的に伸びてるし、失敗するトコロも減ってきてるんだけど…さぁ……」
「ふーん?なら上等じゃない――ただし、質を落として生産量上げてるようじゃあ『成功』には程遠いわよ?」
「わかってるよ…。…つか今年は、質を上げるつもりでやってたから……」
「…なるほどね。でも焦るには早過ぎるわよ?
品質向上――品種改良には知識と経験が必要不可欠なんだから。
まぁ今は勉強と思って、品質と収穫量の安定を目指しなさい」
「…………」
「…ん?なによ?」
「……なんで…そんなに詳しいんだよ…。…姐さん、専門は機械だろ…?」
武力にも、労働力にもなる万能の魔動人形・魔機亡――の他にも、姐さんは様々な機械を発明・開発している。
城下で稼働している工場も、そのほとんどが姐さんが作った機械をベースにした機械で製造や加工の作業を行っているし、出来上がった商品を運ぶ運搬機だって姐さんが開発者だ。
そう、この魔界に出回る機械の始まりに、姐さんはほとんどすべて関わっている。
だからついた異名は「機術王」に「鋼の魔女」――…どう頭をひねっても農業に、自然を相手にしたコトに関わってきたとは思えないんですけど……?
たぶん――なんて言わずとも、俺の疑問は当然というか尤もだ。
なにせ今までに姉さんが積み上げてきた財源の全ては、今までに発明した機械によるもの――てか機械産業で築き上げた財力と武力によって、姐さんは七罪魔王の座にまで就いた発明家にして企業家、なんだから。
そんな実益主義の姐さんが、無駄も多ければ不透明なことばりの農業に利益を見出すわけがない――と思っても、なにもおかしなことはないだろう。
だって姐さんが苦笑いしてる――…けど、
「な、なんだよ…」
「んー……昔のこと、ちょっと思い出してねぇ~…」
「ぇ、まさか姐さん――…ホントに農業、やってたの??」
「……まぁねぇ~――…まだ、魔女だった頃の話だけど…」
「…………………は?!」
「んー…?……ぁあそうか、アンタが生まれた頃にはもう魔王サマだったか」
「ぇ…ぇぇぇー………??」
「…別に、隠してるわけじゃないのよ?ただ誰も気にしないから、あえて公言してないだけで」
「じゃ、じゃあ…本当に魔女――てか悪魔じゃないの?!」
「いや、今は悪魔よ?地上で死んだから魔界に落ちたわけだし――…ただまぁ生粋の、ではないわね」
「……」
「ははは」と軽く笑って、姐さんは何でもないことみたいに言う――生まれながらの悪魔ではない、と。
…確かに、姐さんが純粋な悪魔じゃない――かつて魔女だったってことは、大したことじゃないと言えば大したことじゃない。
この魔界で一番にものを言うのは力――である以上、姐さんが絶対的な力を有していれば、大体のことは問題じゃない。
…それに、冷静になって考えてみれば、姐さんはそもそも――悪魔らしからない、んだし。
…でも、だから俺はそんな姐さんに憧れたし、慕っていた――…から、ショックだったのかもしれない。
自分の抱いていた想いの前提が、最初から破綻していたってことが。
…でも、とはいえだ。
「………姐さん」
「んー?」
「……どれくらい…昔、なんだよ…。…その、魔女だった…のって…」
「ぅーん……ざっと、300年くらい…かしらねぇー…。
……ぅわ、我ながら長生き――…いや今、死後だから…?」
「……病気で、か?」
「いや、魔女狩り」
「まッ?!」
「と言っても、魔女同士の小競り合いに巻き込まれて、スケープゴートにされた――ってなハナシなんだけど」
「はァ?!」
「魔女の世界は怖いのよ~。邪魔な魔女がいれば魔女狩りであろうと主導する――
…私みたいな中途半端な魔女は秒で喰いモノよ」
過去の自分を嗤っているのか、「魔女」を語る姐さんの表情はどこか暗かった。
魔女にスケープゴートにされた挙句、人間の手によって理不尽な死へと追いやられた――。
…いくら300年という長い歳月が経過しているとはいえ、その壮絶な死は未だにトラウマとして記憶に焼き付いていたとしても、なんの不思議はない。
――…ただ不思議なのは、それが未だに姐さんの記憶にトラウマとしてこびりついているなら――
「…………」
「ん?ぁあ、ソイツら?もうとうの昔に死んだわよ――小競り合いの末に共倒れで、ね」
「……それ、で?」
「ぁ、あー……それで、ねぇ――……スリュセ姐さんがこってり絞った――…そうで……」
「………姐さんは、それで……よかった、のかよ…」
「…もうその時には――…というか、最初からそこは気にも留めてなかったのよねぇ」
「…っソイツらのせいで――…死ぬハメになったのにかよ…?!」
「魔女とはそういうモノ――って理解してたもの。
そこに対する是非は、後にも先にもないわよ――」
「ならっ……なんでッ…」
「………守れなかった…いや、巻き込んでしまったのよ…――大切な人たちを……私が間抜けだったばっかりに――…ね」
「……、………っ…まさか…?!」
「…そ、私に農業を教えてくれた村人よ――…まったく、『恩を仇で返す』とはまさしくこのことね」
そう言って、姐さんはまた笑う――…誰が見たってわかるくらい、悲しそうに…。
…でも、姐さんが悲しむ必要は――姐さんが自責の念に駆られる必要はないはずだ。
だってその人間たちを殺したのは、姐さんを陥れようとした魔女――であって、姐さんが手にかけたわけじゃない。
だから、姐さんに非なんて――苦しむ理由なんてないのに――。
「…しっかしアレは効いたわねぇ~……村人たちからの呵責は……。
…今思えばホント上手いことやったもんねよ」
「ッ…なに言ってんだよ!?」
「…ぁ、いや、うん。…ごめん。ぅうん…さすがに不謹慎だったわね…」
「っ…そうじゃなくて――」
「――だァまれクソガキ。
コイツの自己中は筋金――いや、鉄筋入りだ。テメェ如きがなに言ったところでどうともならねェんだよ」
不意に、部屋のすみから声が――作業場の奥にある下り階段から一人の男が姿を見せる。
知った顔――それも、この件に関しては俺と同じ怒りを抱くはずのヒトの、思わぬ制止に「だけど」と俺は食い下がる。
でも男は呆れ――と、諦めを含んだため息を一つ吐いて疲れた様子でもう一度「黙れ」と言った。
…たぶん、このヒト――ダルヌ兄さんも、姐さんにはあれこれと散々言ってきたんだろう。
でも、それでも、姐さんは考えを改めなかった――…どーゆーつもりか、なんて見当さえつかないけど…。
それでも、俺が一つ理解したことは――ダルヌ兄さんが言ってダメなんだから、俺程度の言葉じゃ姐さんは聞く耳すら持ってくれない、ってことだ。
「……」
「あらら。好感度、物凄い下がっちゃったじゃない」
「お前の強情が原因だろーが」
「…だわねぇ~――ま、それで底をつくような好感度でもないわけだけど」
「…………」
「…気に入らないなら出て行け。もう手遅れだからな、コイツの矯正は」
ニヨニヨと笑みを浮かべながら俺を見る姐さんに、じわじわとムカつきが濃くなっていく。
…けど、ダルヌ兄さんの言葉が「諦め」っていう差し水になって、ムカつきでぐつぐつと煮えていた頭は徐々に落ち着きを取り戻していく――…ただそれは、「諦めた」からであって、納得したわけじゃない。
だからやっぱり――表情は悪い。
「はぁ……聞かなきゃよかった…」
「…まぁ、気分のいいハナシじゃないわよねぇ」
「…そーじゃなくて、姐さんから農業の話聞く度に…なんかヤな感じになるっ…」
「…………領地、交換する?」
「しないっ」
呆れを含んだ苦笑いを浮かべて訪ねてくる姐さんに、吼えるように「NO」と答えれば、姐さんは「あらま」と言って肩をすくめる。
ただ、その顔にも態度にも申し訳なさとか反省とかはない。しかも全然。
…でも、それは当然のこと――…だから眉間にしわが寄る。
「…もう姐さん本物の悪魔――てか魔族だよ!いや魔王だよ!」
「は?そうだけど?お前の年齢より歴の長い――ベテラン魔王サマだわよ」
「っ…だったらもうちょっと魔王らしくしろよーー!!!」
最初のコメントを投稿しよう!