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そのバケモノの存在を知ったのは、一年ほど前のこと。その恐ろしいバケモノは、ずっと僕に付きまとっていたんだ。
こうして僕が落ち着いて話せるのは、“付きまとっていた”と過去形になったからなのだけれども。別に君に聞かせるような話ではないのかもしれないけど、他に誰も話せるような人は、いないんだ。
君だけ、なんだよ。
『それ』に出遭ったころ、僕は少々精神的に参っていてね。
人間、生きていればいろんなことがある。順調な時もあれば、そうでない時もあるのが人生ってやつさ。
君もそうだと思うけれども、いい時には自分がヒーローになったような気分になれるし、悪い時には悲劇の主人公になった気分――そう、どちらにしても主人公は自分自身。
この世界は僕という存在がなければ存在しえないし、第三者の観察ってやつがなければ、僕自身の存在を証明することはできない。
思い、考え、感じる僕がいようとも、たとえば僕が写っている動画や画像が存在していても、僕が僕自身であることの証明にはならない。まして鏡に映る自分の姿を見たところで、僕が僕であること、僕がこの世界にいることの証明にはならないんだよ。
そして不思議なことが起きたんだ。その鏡の中の僕にね。
僕は昔から鏡を見るのが嫌いでね。
君はどうだかわからないけれども、僕は自分の容姿をあまり好きじゃない。
もちろんコンプレックスを抱くほどに欠点があるわけでもない。普通というよりは凡庸な、或いは影の薄いと言った方が解りやすいかもしれないけれど、良くも悪くも誰も振り返らないような顔。
君が知っているように僕は悪い人間じゃない。
どちらかと言えば人に好かれる性格、そして人を安心させる温和な雰囲気、良く言えば安心感とか話しやすいとか、そんな言われ方をされるのは、決して悪い気分じゃないんだ。
でもね、それがとても嫌になる時がある。
いい人だ、優しい人だと言われる事が、僕にいい人である事を強制しているように感じる事もある。僕にだって影はあるし、見せていないだけ。僕にだって優しくされたいと願う事もあるし、甘えるのが苦手なだけ。
『いい人』の話もしたいけれど、こうして落ち着いて話せるうちに、君に知ってもらいたいことがいろいろあるんだ。
そう、バケモノ、まずはバケモノを最初に見たときのことを話そう。
去年のゴールデンウイークの最後の日、眠れなくてね。僕は外で煙草を吸ってなんだかモヤモヤした気持ちを落ち着かせようとしたんだけれども、どうにも気が晴れない。珍しい事のように思うかもしれないけれども、さっきも言ったように、何かとうまくいかないことがその頃は多くてね。
今にして考えてみれば、それまでが出来過ぎていたのかもしれないけれども、いい時期っていうのは調子に乗ってなんでも手を出す。何をやっても上手く行くから、多少の無茶も無理もなんとかなってしまう。
ところが一度歯車が狂ってしまうと、途端に何もかも上手くいかなくなる。ひとつの綻びから穴がどんどん広がって行くんだ。
そんな時はじっと我慢しておけばいいのだろうけれども、まだまだうまく行っていた頃の感覚が残っているかから、ついつい『まだ、やれるんじゃないか』なんて思ってしまうものなのさ。
まぁ、そんなこんなで四苦八苦している僕の姿を、多少見ていてくれたのかな、君は。
別にそれは難しい話でも、珍しい話でもないのだけれどね。さらにその一年前から――そう、君と出会った頃からいろいろとあったし、その意味じゃ、実はもう、すっかり慣れていた頃だっただけに、どうにも納得がいかないというか、なんで今更、ちょっと前のあれこれに悩まされなきゃならないのか。
いや、悩んでもいないのに、そんな気分にさせられるんだと自分が情けなくなってね。
どうせ眠れないのなら、顔でも洗って目を覚ましてしまえ――そう思って、洗面所に行ったわけなのだけれども……。
それが奴との――『境界の怪物』との最初の遭遇になったのさ。
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