境界の怪物

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 僕はまず、自分の両手を眺め、それが間違いなく自分の手であることを確認し、鏡を見ずにその手で自分の顔を触ってみた。それでわかった事は鏡の中以外はすべて問題がない事。もちろん、最終的にそれを確認するためには第三者の視点が必要だ。  僕はすぐにスマフォで自撮りをして画像を確認し、SNSにアップした。何も問題はない。それから近所のコンビニに煙草を買いに行き、店員の反応を確認する。それも問題ない。コンビニの窓ガラスに映る自分の姿も問題ない。トイレを借りて洗面所の鏡を見る。  そこにはさえない中年男がいるだけで、他に何も変わったものは映っていない。家に帰ってもう一度鏡を見る。そこに映っていたのは間違えようのない僕自身の顔だった。納得はしがたいが、兎に角、僕はおかしなものを見て、おかしな声を聞いた。眠れない夜に、目が覚めるようなおぞましいバケモノを見たという事実だけ心に留めて、その日は寝る事にした。  翌朝、顔を洗い、身だしなみを整えている自分の姿を確認し、“不思議な事もあるものだ”と。  ただ、それだけの事だと自分を納得させながら、僕は一つの可能性について考えをめぐらせた。もちろんあの怪物の正体についてだ。  奴は言った。“ハローダークネス! 我が古き友よ”、この言葉を僕は知っている。サイモンとガーファンクルを知っているかい?  そう、ダスティン・ホフマン主演の映画『卒業』のサウンドトラックだよ。『サウンド・オブ・サイレンス』の歌いだしの部分“Hello darkness, my old friend”、直訳すると“こんにちは、暗闇、僕の古い友達”ってことになる。  それは僕の好きな曲であり、誰もが知っている曲であり、それでいながら歌詞の内容について語られる事の少ない曲でもある。まぁ、古い曲だからね。悲しげなメロディと映画がシンクロして、歌詞の意味について、気に留める人も少ないのかもしれないけれど、僕は時々、自分の心の闇を垣間見たときに、この一節を思い出して、つい口にしてしまう事がある。  つまり、アレはやはり僕なのではないか。僕の闇の部分がああいう形で現れたのではないだろうか――だとすれば、再び僕がそんな気分にさせられたとき、奴はまた現れるのではないのだろうか?  どうだい?  君にはこんな芸当できないだろう?  間もなくして、僕は僕自身が立てた仮説が正しい事を知ることになる。  そんなに怖がる事はないよ。僕が君と違っているからと言っても同じ人間さ。バケモノを見るような目で見ないでくれるかな。それに僕が話したいのはここから先の話なのだから。
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