境界の怪物

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 君が僕を裏切り、僕をこんな気分にさせて――そう、すべては君のせいなんだよ。僕が自分の中の『心の闇』を自覚し、それを制御しようとずっとこの一年間、努力してきたにも関わらず、君は僕を無視し続けてきた。  僕が君にどれだけ真摯に接し、持ち合わせる優しさを総動員して君を守り、君を大切に思い、君がどうしたいのかを考え、君の望みが僕の望みと違ったとしても、僕は君に寄り添ってずっとやってきたんだ。  僕たちはもっとうまく出来たはずさ。こんな終わり方は僕にとっても本当に残念なんだ。  君が僕を無視すればするほど、僕の中の闇はより深く、より濃く、そして大きくなっていったんだ。最初は一言、二言くらいしか奴がしゃべる事はなかったのだけれども、そのうちべらべらとよくしゃべるようになってね。僕が君にどれだけ尽くしてきたかってこと、その気持ちを踏みにじり続けた事、最初から君は僕を利用する事しか考えていなかったのではないか、裏では僕を軽蔑し、軽視し、時が来ればいつでもいなくなるつもりだったのではないか。  奴は僕自身と同じだから、僕がするように確実な事実から君が何を思い、何を考え、どう選択し、どう行動したかについて、正確に語って見せた。それはずっと僕が心の奥底で考えていた“見たくない事実”に他ならなかった。  奴は、僕が深い、深い地中に埋めていたそれらの事実を掘り起こす墓荒らしと同じさ。だからあんなおぞましい姿をしている。その手で土を掘り起こし、埋まっていた事実を見つけては、それを見て発狂していたに違いない。  やがて奴は鏡の中から手を伸ばし、僕の首根っこを掴んでこう言い始めた。 “もしもお前が『静寂』を望むのなら、心の声に従え。さもなければ心に平穏が戻る事はないだろう”  奴の言っている事は正しい。それは僕も気づいていた。この怪物を消すには、その原因となっている僕の心の闇をなんとかしなければならない。  僕は闇を消すための光を求めて、あちこちさまよったよ。でも、それはどこにも見つからなかった。それどころか余計な闇を抱えてしまった。君の替わりに誰かを好きになろうと努力した。身を崩して快楽におぼれ、君と同じように、不道徳で不埒なことをすれば、君という人を、僕とは違う君を理解できるようになるかもしれない。そうなれば――。 “人とは、こんなものだ”と諦められるのではないかと、そう考えたんだ。  でも、僕にはできなかった。できない僕は、結局闇をより深いものにしてしまい、ついに奴は境界を越えて、こっちの世界に現れたんだ。  奴はケダモノだ。僕が抱えた闇の原因となった人たちを追いまわし、追い込んで、陵辱し、そして深い闇の底に沈め、墓の下に埋めたのさ。もう誰にも奴を止めることはできない。  奴は――いや、彼はもう、境界を越える力を得てしまった。決して超えてはならない一線を越えて、今こうして、君の前に姿を現そうとしている。  さぁ、話はもう終わりだ。  今から彼が来るよ。  君が、最後のひとり。  境界の怪物は、君を闇に埋める事で、ようやくその役目を終えて僕から離れるに違いない。  そんな顔をしてもだめさ。もう、何もかも手遅れなんだから。超えてはいけない一線というのは、どこの世界にも、誰の中にもあるんだよ。  君には苦しい思いをさせて申し訳ないと思っている。鏡の前で動く事も、声を出す事もできないでいたのだからね。これが闇の力、境界の怪物の能力なんだよ。鏡の中の君を押さえ込んでいる彼は、今から君を辱め、欲望を満たし、闇に引きずり込む。  君の心を粉々にして、気が狂ってしまうまで、それは続けられる。  君が僕にしたようにね。  さぁ、彼が来たよ。 “こんばんは、暗闇ちゃん、我が愛しき人よ!”
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