第104話 恨みか悲しみか

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第104話 恨みか悲しみか

 奥様と旦那様は政略結婚だった。  家同士の繋がりのための結婚。貴族社会では珍しくもない。けれど、奥様は旦那様を愛していたし、娘のレイチェルお嬢様のことも誰よりも愛情をもって接していた。  バルド家のことを誇りに思い、きっと旦那様の役に立ってみせると、家事から貴族間の交流までこなした。もともと真面目な女性だったのだ。家を守ることを生きがいとし、ゆくゆくは娘を王子に嫁がせるための教育も自ら行った。  全て、バルド家のためだ。しかし旦那様は奥様のいるバルド家の屋敷からは離れがちになり、アンナ様を愛した。 「お父様のために、バルド家のために、そうやって生きてきたのに報われなかった。そしてお母様は死んでしまった。きっと、お母様の最後の希望はわたくしが后になることだったのに、わたくしは人から笑われる身となった。死んでも死にきれない気持ちは、分かる気がする」 「こうなったのは、私の責任だと言いたいのか」 「お母様が悲しんでいたことは事実だと思います。でも、だからってこんなこと――」  お嬢様は再び鏡に向き直る。泣きそうな顔で奥様を見つめた。 「こんなことをしてもなにもなりません。恨んで呪うだなんて、お母様のお立場が悪くなるだけです」  もうこんなことはやめてください、と訴える。しかし奥様は眉一つ動かさなかった。静かな赤い瞳がレイチェルお嬢様をみている。  あまりにも静かなその瞳に私は違和感を覚えた。恨みといった激しい感情が感じられないのだ。  だから私の口から言葉がついて出た。 「呪いたいと、奥様は思っているのでしょうか。とても、恨んで呪おうとしているようなお顔には見えません」  ただただ静かな顔なのだ。それはディーの言うように、魂の片鱗だから感情が薄いだけなのかもしれない。でも、寂しくて、悲しい顔に見えた。  バルド家の幸せな時間も、レイチェルお嬢様のことも、自分の大切なものを守れなかった。そんな悲しみ。 「奥様は優しい方でした。とても他人に恨みをぶつける人ではなかった。他人にぶつけるよりも、ご自分の身の内にためこんでいく方でした。だから、奥様がすすんでアンナ様やライラ様を傷つけようとするなんて、私には考えられません」  たとえ奥様が二人を呪うような結果を生んでいたとしても、それは奥様の意図したことではないと思う。奥様を責めるのはなにか違うと思うのだ。  だって奥様も、悲しんで苦しんできたはずなのだから。
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