第23話 図書館の少女

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第23話 図書館の少女

 しんと静まり返っている空間に、私は諦めて階段をおりた。  一階に戻ってくると、手許無沙汰に本棚の間を歩く。  もしパッサン卿が一時外出しているだけだとしたら、待っていれば帰ってくるかもしれない。それに、バルド家のお屋敷に帰るための馬車は親父さんが市場の方へ乗っていってしまった。親父さんと約束をしている夕方まで、どの道帰ることはできないのだ。  私は本の背表紙を撫でながらパッサン卿の名前を探した。  本は分類ごとに並んでいる。手近にあった哲学の本棚からパッサン卿の著書を見つけて引き抜いた。  ページをめくって文字に視線を走らせるが、私には到底理解できそうにない内容だった。  お嬢様はよくパッサン卿の著書を読んでいるから感心する。  この国では、女性はそこまで高い水準の教育を受けない。ご令嬢であればある程度しっかりと教育は受けるが、哲学などはその範囲ではない。それでもレイチェルお嬢様はパッサン卿の小難しい本を好んでいた。  ――駄目だ、全然内容が分からない。前世の記憶がある分、私は人より有利なはずなのに。  最後のページまで一通り眺めて――内容は全く分からなかったが――、本棚に戻す。  そのとき。  近くから唸るような声が聞こえた。  あまりに小さくて気のせいかとも思ったが、しばらくするとその唸り声はまた聞こえる。  私は周りをみて、本棚を一つ通りすぎた。おそらくこちら側から声がした気がする。隣の本棚をのぞくと、そこには少女がいた。  図書館は誰にでも開放されているとはいえ、小さな少女の姿は珍しかった。  十歳前後だろうか。焦げ茶色のボリュームのある長髪を頭の上で一つに結んでいる。リスの尻尾みたいだ。黒いワンピースに白いジャケットを着た少女は、本棚の上の方に必死に手を伸ばしている。  精一杯つま先立ちをしているため、体がプルプルと震えていた。その後ろ姿はどこか既視感がある。屋敷に残してきたマリーに似ているのだ。彼女も窓ふきをするとき、こうして生まれたての小鹿のように体を震わせている。 「この本ですか?」 「え?」  声をかけると、つり目の大きな瞳が向けられた。瞳は髪よりも黄色がかっている。その瞳を黒縁の眼鏡が覆っていた。  少女の横から手を伸ばして本を抜き出して渡すと、ぺこりと頭を下げられた。 「すみません、ありがとうございます」 「いいえ」  落ち着きはらった口調でお礼を言われた。  後ろ姿から勝手にマリーのような元気な子を想像していたから、予想に反して大人びた様子の少女に少し驚く。  少女はもう一度礼儀正しくお礼を言って、別の書棚に移る。それを見送って、私もその場を離れようとした。  そのとき。また少女の唸り声が聞こえた。  隣の本棚をみれば、またしても少女が背伸びをしている。目当てと思われる本に少女の指先は届いていない。うーんと唸りながら、精一杯つま先立ちをしているが、とうてい届きそうにはなかった。時折体がバランスを崩してぐらりと揺れる。  危なっかしいその様子を見過ごすこともできなくて、私はまた声をかけた。 「この本でいいですか? もしまだ集める本があるのならば手伝いますよ」  振り返った少女は戸惑いを隠さずに私を見つめる。 「え、でも」 「私、今はやることがなくて暇でしたから。手伝わせてください」  少女は少しの間考えて、じゃあお願いしますと頭をさげた。 「集めなくちゃいけない本、まだ何冊かあって。いいですか?」 「ええ」  静かな館内に響かないように、小声で会話をする。少女は手に持っていたメモ用紙を私に見せてくれた。そこには本のタイトルらしきものが達筆な字で六個並んでいる。
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