第26話 再訪1

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第26話 再訪1

「レイチェル様、お久しぶりでございます」 「ええ。今日はよろしくね」  バルド家馭者でクマのような見た目の親父さんは「任せてください」と、自分の胸を叩いた。  レイチェルお嬢様を馬車に乗せると、親父さんは私をみて目元をゆるめた。 「レイチェル様も、やっとお元気になられたようで。何よりだ」 「はい、本当に――。この外出のことは、できれば内密にお願いしますね。お嬢様が注目されるのを嫌っていらっしゃいますから」 「任せな」  にかっと笑うと親父さんは私に背を向け、馬を撫でた。私は馬車に乗り込むとレイチェルお嬢様の正面に座る。馬車は二人掛けの椅子が向かい合う形をしているのだ。 「お嬢様、よろしければクッションをお使いください。古い馬車ですから、あまりシートも柔らかくないでしょう。申し訳ございません、このような馬車に乗っていただいて」 「いいの。頼んだのはわたくしですもの」  ここはバルド家の屋敷、ではなく親父さんの家だ。バルド家の屋敷からは少し離れた場所にある。  目立たず馬車を使いたいと親父さんに頼んだところ、教えてくれた裏技だった。  親父さんの家は代々バルド家で馭者をしている。先々代の頃、バルド家で一度馬車を買い替えたことがある。古い馬車は捨てるのも勿体ないため、何かあったときの予備として親父さんの家に引き取られた。  古いとはいえ、普段から整備がされているようで、乗るのに支障はない。  バルド家の屋敷から徒歩で親父さんの家まで移動し、そこから馬車に乗る。そうすれば屋敷の人間に外出を知られることもないというわけだ。 「お嬢様自ら動いていただくような状況になってしまって、申し訳ございません」 「パッサン卿が気難しい方だということは承知していたわ。最初からそんなにうまくいくとは思っていなかったし、わたくしも自分にできることは何でもするって決めたの。だからこれはわたくしの意志よ。リーフが気にすることではないわ」  普段と同じ表情だが、そこにはたしかな優しさが感じられて、私は頭を下げた。  私が宮廷図書館を訪れてから数日。  前回私がパッサン卿に何も言えず立ち帰ってしまったことを報告すると、お嬢様は自らも卿に会いに行くと宣言した。使用人の身分である私よりも、お嬢様が出向いた方が話を聞いてもらえるだろうということだった。  目立たないようにといつもより落ち着いたドレスを着たお嬢様は、そっと馬車の窓にかかるカーテンの隙間から外を眺めた。 「屋敷の外に出るなんて久しぶり。緊張するかと思ったけど、案外屋敷にいるよりも気が楽だわ。――宮廷の茶会、返事は伝えてもらったのよね」 「はい。家令にお伝え済みです。旦那様も承知してくださっています」  宮廷の茶会は二か月後。  レイチェルお嬢様も参加するとの旨を伝えた。よかったです、と微笑んだ優しい家令の顔が思い出される。あの人も、お嬢様のことを本気で心配してくれている一人だ。 「お父様、何も言ってこないのね」 「ライラ様が口利きしてくださったようです」  お嬢様の妹であるライラ様の使用人のジルとは、以前よりも話をするようになった。その彼がいうには、「どうしても一緒に参加したいから、自分がお姉様に頼み込んだのだ」とライラ様が進言してくれたようだ。 「二か月後、大丈夫かしら。社交界に出るのは、まだ少し怖いわ」 「今回は参加することに意義があるのだと私は思います。宮廷の茶会も最近は多く開催されていますし、まずは様子見だけという軽い気持ちで参りましょう」  そうよね、とお嬢様はうわ言のように呟く。  馬車は揺れながら走り、昼前には宮廷図書館の前についた。中に入るとお嬢様は周囲を見渡す。 「凄い本の数ね。ここにいたら一日暇をしなさそうだわ」  心なしか赤い瞳をきらきらと輝かせるお嬢様は、やはり根っからの読書家なようだ。  螺旋階段をのぼり、三階へ。お嬢様を連れて廊下を歩き、突き当りまできた。目の前にはドア。私は深呼吸してから、ドアをノックした。 「先日お目にかかりました、バルド家使用人のリーフ・カインツと申します。パッサン卿にお話があって参りました。どうかお時間をいただけませんでしょうか」  返事はない。廊下は静まりかえったままだ。  お嬢様も一歩進み出て、ドアをノックする。 「レイチェル・バルドと申します。突然のご訪問申し訳ございません。少しでいいのです、お目通しいただけませんか」  物音一つしない。 「――いらっしゃらないのかしら」  お嬢様は首を傾げた。  そのとき、背後から声がかかる。
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