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第2話 お嬢様の目覚め
扉を三回ノックした。中からの返事はない。
ポケットから鍵を取り出すと扉をあけて中に入る。
薄暗い室内を進んで、まずカーテンを開けた。柔らかい日差しが部屋に差し込んでくる。
ブラウンととアイボリーで統一された部屋が優しくて照らされる。天蓋付きのベッドや、窓辺に置かれた猫足の机と椅子など、置かれている家具は技巧が凝らされた一級品。でも、どこか古くて薄暗い印象が付きまとう。
マリーはベッドサイドのテーブルにお茶を用意していた。音を立てないようにゆっくりと。せっかちなマリーも、お嬢様の心地の良い目覚めのためにこの時ばかりは毎朝慎重だ。
「レイチェルお嬢様、おはようございます」
ベッド脇に歩み寄り声をかけると、お嬢様はわずかに身じろぎした。
黒い睫毛に縁どられたお嬢様のルビーのような赤い瞳がゆっくりと開かれる。
「おはようございます、お嬢様。本日はハーブティーをご用意いたしました」
マリーの声に、お嬢様は無言で起き上がるとゆっくりとカップを手にとって口元にもっていく。長い黒髪が一房、肩からおちた。
そっと瞳を閉じる。
「いい香り」
お嬢様が呟くと、マリーはぱっと嬉しそうに笑う。
「お嬢様、お支度を」
お茶を飲み終わった頃相で声をかけると、お嬢様は頷いてバスルームへと歩いて行った。
お嬢様が顔を洗っている間に、私とマリーは窓をあけて寝具を整える。春の風が心地よく部屋の中に行き渡った。
「ハーブティー、褒められちゃいました」
「よかったわね」
「はい」
マリーはにこにこと微笑む。思わず頭を撫でたくなるが、ぐっとこらえた。
「あのハーブティー、街まで買いに行ったんですよ。中央通りにお洒落な茶葉の店があるんです。今日のお茶は店主おすすめの茶葉で、淹れ方も店主に教えてもらって勉強しました」
「熱心ね」
「もちろんです! これが私のお仕事ですから」
そんな会話をしていると、バスルームからお嬢様が戻ってきた。
「なんだか楽しそうね」
マリーの満面の笑みを見て不思議そうな顔をするお嬢様をドレッサーの前に座らせ、私はその黒髪に櫛を通す。ゆっくりゆっくり、慎重に櫛を動かした。何度か引っかかりそうになると、優しく髪をほぐす。
マリーは楽しそうにクローゼットを開けながらお嬢様に声をかけた。
「お嬢様、今日はどのドレスになさいますか」
「なんでも構わないわ。どうせ部屋からは出ないもの」
「外はいいお天気ですよ! たまにはお庭でティータイムなんていかがですか?」
お嬢様はゆるゆると首を横に振った。
「わたくしはいいわ。二人で行ってらっしゃい」
「でも、リーフさんが作る外国のお菓子、とっても美味しいんですよ。もちもちしていて、フルーツが入っていて、甘くて」
「またリーフは珍しいものを作ったのね。わたくしにも教えてくれればいいのに」
私は苦笑して、「主人に出せるほどのものではないので」と言い訳をする。
「ね、リーフさんに作ってもらってティータイムしましょう」
「――いいえ。わたくしはいいわ。気を使わなくてもいいから、二人で行ってきなさい」
マリーは深く肩を落として「そうですか」と呟いた。一気に彼女の気分が急降下しているのがよく分かる。
そんなマリーを心配しながら、私はお嬢様の髪をすきおわり、化粧へと移る。
お嬢様の肌は白色を通り越して、青白い。
もうずっと外に出歩かず陽の光を浴びていないからだろう。あまり化粧で誤魔化すのもどうかと思うが、と私が考えているとお嬢様が鏡の中の自分をみて呟いた。
「ひどい顔。こんな顔では社交界なんてとても出られないわね」
「そんなことないですよ」
目元のクマを隠すように白粉をのせた。
「お嬢様! 今日はこのドレスにしましょう。やっぱりお嬢様には赤いドレスが似合います。お嬢様の瞳と同じ色」
なんとか気を持ち直したマリーは、深い赤色のドレスを用意する。フリルをおさえたエレガントなドレス。スカート部分は赤いフリルの下に黒い布地がのぞく。赤色はお嬢様の瞳の色。黒色はお嬢様の髪の色だ。
美しく流れる黒髪に、知性が灯る赤い瞳。その瞳を縁どる長い睫毛。
私たちの主人、レイチェル・バルド嬢はこの国でも一、二を争う上流貴族バルド家の長女だ。
その血筋に恥じない美しい容姿と、賢さ。国の后にもなるであろうと噂もされた、誰もが羨む令嬢だった。
――あくまで、「だった」という言葉がつくのだが。
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