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第37話 問題
悪漢に絡まれることもなく、私たちは無事に宮廷図書館にたどり着いた。
エマは三階まで進み、パッサン卿の研究室の前で立ち止まる。私を見ると、しーっと人差し指を立ててニヤリと笑みを浮かべた。
「じいちゃん、いる?」
「ああ」
ドアが開いて、パッサン卿が顔を出す。今日も鷲みたいに険しい顔だ。
パッサン卿は私に気づくと、さらにその顔を険しくさせた。エマは悪戯が成功したようにくすくすと声を上げる。
「あのご令嬢が体調を崩しているそうじゃないか。こんなところに使用人が来ていていいのか」
「メイドが世話をしておりますから、問題ございません」
パッサン卿の目力にもずいぶん慣れてしまった。
「大変だったんだよ。レイチェル様、病み上がりで自分もじいちゃんに会いに行くんだって聞かなくて」
エマの言葉に、パッサン卿はふんっと鼻を鳴らす。
「無理をしてここにきて倒れられたら外聞が悪い。儂に迷惑をかけるなと言っておけ」
パッサン卿の言葉を頭の中で復唱して、ふむと頷く。
「かしこまりました。パッサン卿がお嬢様を心配していらっしゃったとお伝えいたします」
パッサン卿は私を睨みつけると盛大な音を立ててドアを閉めた。しかしそのすぐあと、わずかばかり扉を開けて、小さなメモ用紙が差し出される。エマはそれを受け取って、「探してくるね」と声をかけた。またいつもの本のお使いだろう。
「リーフさん、だいぶじいちゃんに慣れてきましたね」
「おかげさまで」
ふふっと笑って、エマは手を振って一階におりていった。
エマと別れて宮廷図書館の一階におりて、私は本を読み始めた。お嬢様とエマのやり取りをみていると私ももっと勉強をしなくてはと思うようになり、最近は本を読む時間を取るようにしている。
だが、努力はしているもののさっぱり身に着かない。
「駄目だ、分からない」
ふうと本から視線をあげたとき。
「おい」
驚いて顔を上げると、そこにはパッサン卿が立っていた。
手には数冊の本が抱えられている。彼が部屋を出るのは大抵研究に使う本を探しているときだ。例にもれず今回もそうなのだろう。
しかし、一階で声をかけられたのははじめてだ。
いささか緊張しながら、私は立ち上がった。
「なんでしょうか」
「お前たちはどうして儂にこだわる」
「はい?」
突然の問いに思わず聞き返した。パッサン卿は細い目を吊り上げながら、それでもいつものように会話を強制的に終わらせることなく、もう一度口を開いた。
「お前たちの考えていることくらいは分かる。儂の権威を利用したいのだろう。だが、もしそれ以外の理由があるのなら、それを聞いておこうと思っただけだ」
「それ以外、ですか」
私たちがパッサン卿に目をつけたのは、権威があって、まだどこの貴族にも加担していない有名学者だったからだ。だからパッサン卿の言っていることは間違っていない。
それ以外となると、なんだろうか――。
こちらを見透かすような目に見つめられながら、私はぐるぐると思考をまわした。せっかくパッサン卿が自ら話しかけてきてくれたのだ。まずいことは言えない。その緊張感からか、うまく言葉がまとまらない。
「――もちろん、パッサン卿の権威をお借りしたいというところは本当です。ですが、純粋に、お嬢様はあなたに指導を受けたいと願っています」
「薄っぺらい理由だな。令嬢に伝えろ。どうせまた来るのだろうから、回答を用意して差し出せと」
ふんっと鼻を鳴らして、パッサン卿は背を向ける。だが、数歩いったところで立ち止まると振り返った。
「その本」
パッサン卿の目は私が先程まで読んでいた本を捉えている。
「内容も薄いし、書かれていることも支離滅裂だ。読むに値しない」
ばっさりとそれだけ言うと、今度こそ背を向けて去っていった。
残された私のもとに通りかかったエマは事の顛末を聞くとくすくすと笑って、「もっといい本知っていますよ」と私に数冊の本をすすめてくれた。
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