第46話 その人の音

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第46話 その人の音

 ディーテのアトリエは郊外の森の中にあった。  深い木々に囲まれて、三階建ての建物がたっている。アンティーク調の建物はこの森に唐突に現れる人工物のはずなのに、周りの景色と調和がとれているから不思議だ。 「芸術家を支援しているライジェナ伯爵が、ディーテのために作らせたアトリエだそうよ」  それにしても凝った外装ね、とお嬢様はアトリエを見上げる。窓枠や門扉にも細かい装飾がこらされている。このアトリエそのものが芸術のようだった。  宮廷の茶会をディーテが去ったあと、会場のどよめきは暫く収まらなかった。彼が他人をアトリエに誘うのは滅多にないらしい。むしろ彼が人に興味を示すこと自体が稀のようだ。  それなのに、急に私に声をかけてアトリエに招いた。ただの使用人である私を。だから、どういうことなのかと貴族たちは私を囲ってじろじろと観察をし始めてしまう始末だ。  茶会の席はその混乱を残したまま、いつの間にか終わっていた。  その数日後、私はディーテに「お嬢様と共にアトリエに伺ってもいいか」と手紙を出した。その了承の返事はすぐに届いた。ずいぶんと達筆な字で、その手紙ですら芸術的価値がつくのだろう。  扉を叩くと、少ししてからディーテが「ごきげんよう」と扉を開けて現れた。今日はラフな白シャツと黒ズボンの姿だ。それだけなのに、洗練された印象があるのは長身だからか、彼の雰囲気だからか。 「こんな格好で申し訳ない。あまり堅苦しいのは好きではなくて」 「いえ、構いません。この度はお招きありがとうございます。改めまして、私はリーフ・カインツ。バルド家の使用人をしております。こちらは主人のレイチェル・バルドでございます」  お嬢様は丁寧にお辞儀をした。  ディーテもその長身を曲げて一礼し、困ったように眉を下げる。 「先日はご挨拶もできず申し訳ございませんでした。私はディーテ、芸術好きのしがない人間です。どうかディーとお呼びください」  ディーテ、改めディーは私たちを客間へと案内した。  このアトリエにはピアノやヴァイオリンなどがおかれた部屋や、絵を描くための画材がおかれた部屋、ダンスを嗜むダンスホールなど、色々な部屋があるらしい。  ディーは自ら紅茶を淹れると、私たちに振る舞った。 「お口にあうかは分かりませんが」 「とても美味しいです」 「それはよかった。ここに人が来ることなんてないので、お茶を振る舞う機会もなくて。自分の腕がどれほどのものか分からなかったものですから」  お嬢様はティーカップをソーサーに置きながら、ディーに尋ねた。 「あなたがアトリエに人を呼ばないことは噂にも聞いています。それなのに、どうしてこのリーフのことをお誘いしてくださったのですか?」  ディーは深緑の目をこちらに向ける。 「リーフはとても不思議な音をもっているようだったので、興味がわきまして」 「音、ですか?」  はい、とディーは微笑む。長い足を組んで、その上に指を重ねた。 「人には誰しもその人特有の音を持っています。優しいとか、恐ろしいとか、そんな単純なものではなくて、もっと複雑で階層的なもの。誰かはそれを、魂の音だと呼んでいました。リーフの音は、他の誰とも違う不思議な音をしています」  私は自分の胸に手をあてた。  彼の目は私の体を通り越して、その奥にある私の魂を見つめているようだった。 「リーフの音は他の誰よりも複雑なようです」  私は驚いてディーを見る。ディーはただ穏やかに微笑んでいた。  魂の音。    霊感とかオーラとか、そういう類のものだろうか。もし彼の言葉が嘘でないのなら――。  私の魂。  それはたしかに特殊なのかもしれない。なんといっても前世の記憶をもっているのだ。前世の魂と今世の魂、そのどちらもあわせもつ今の私がもつ音は、他の人間よりも複雑といえるのかもしれない。 「不思議なお話ですね。わたくしにはリーフは他の子となんら変わらないように見えますが。たまに年齢にそぐわない言動は見受けられますが。妙に老人くさいというか」 「お、お嬢様までそんなことを思ってらっしゃったんですか」  これ以上ディーと向き合ってはいけない気がして、私はお嬢様の軽口に大げさな反応をした。そのおかげか、ディーの目が私から外れて安堵する。
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