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第47話 交渉開始
ディーは今まで回った国の話を私たちに聞かせてくれた。
彼は気まぐれで飽き性だから、ひとところに留まることができない性分らしい。それでも今は、このアトリエが気に入っているから、この国を出ていく気はまだないようだ。
「実は今、新しい曲を書いているんです」
ディーは秘密を打ち明けるように囁いた。
「でも、どうにも行き詰っていまして。何か新しい刺激がほしいと思っていたところに、リーフが現れた。不思議な音、あなたと一緒にいると新たな創作意欲が湧いてくるような気がするんです」
ふふっとディーは笑った。新しい玩具を前にした子どものような微笑みだ。
「だからリーフ。曲が書き終わるまで、私に会いにきてはくれませんか?」
え、と私とお嬢様の声が重なる。私たちは顔を見合わせた。お嬢様は真剣な表情で小さく頷いた。私も頷いて、ディーに向き直る。
「それはもちろん、構いません。私も、ディーの曲作りにお力添えできるのであれば嬉しいです。けれど、交換条件というわけではないですが、一つ頼みを聞いていただけませんか?」
ディーは不思議そうに首を傾げた。
「レイチェルお嬢様に、演奏やダンスの指導をしていただきたいのです」
「指導、ですか」
今日ディーのアトリエを訪れたのはこれが目的だった。
パッサン卿のおかげでお嬢様の教養面の指導は受けられている。だから、今のお嬢様には次のステップに進む必要があった。
それはピアノやヴァイオリンの演奏技術や、ダンスの美しさだ。芸術の才にあふれた女性がよしとされるこの国で、芸術のスキルは重要となってくる。
そんな折に、こうして天才と呼ばれる芸術家のディーと知り合うことができたのだ。彼はその気まぐれ故に、現在どの貴族のお抱え芸術家でもない。この機会を利用する以外にない。
「どうか、お嬢様に指導をしていただけませんか」
ディーは頭を下げる私をみて、困ったような顔をした。大変申し訳ないのですが、と前置きをして答えを示す。
「私は、人に何かを教えるのは苦手なんです。すみません」
やんわりとした拒絶だった。すぐに受け入れてもらえるなんてことは思っていなかったが、やはり落胆してしまう。
しかし、ディーは言葉を続けた。
「でも、そうですね――。私だけがお願いを聞いていただくのは、フェアではないですね」
ディーは細い指をあごにあてて逡巡してから、微笑みとともにある提案をした。
「それでは、曲が完成するまでの間、私は答えを出すのを保留にしましょう。その間に、私に心変わりをさせることができたのなら、そのお役目引き受けましょう。ただし曲が完成してもまだ私の意志に変わりがなければ、それきりにしてください」
それでいかがでしょうか、と問うディーに私たちは頷いた。
ひとまず一蹴されることがないのであれば上々だろう。
曲が完成するまでにディーの説得をする。パッサン卿に引き続き、また私たちの交渉が始まるようだ。
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