731人が本棚に入れています
本棚に追加
/124ページ
第7話 昔の話1
別館に戻ると、調理場で待っていたマリーと合流した。本館で家令から聞いた話をすると、マリーも難しそうな顔をする。
「宮廷のお茶会ですか。お嬢様、きっとまたお断りになりますよね」
「マリーもそう思うわよね。お嬢様だっていつまでもこのままでいいとは思っていないのでしょうけれど――。レイチェルお嬢様は悪役令嬢と世間には浸透してしまっているし、社交界に戻るのは勇気がいるのでしょうね」
「悪役令嬢、ですか?」
そういう言葉があるんですね、とマリーは不思議そうな顔をした。
私は視線をさまよわせる。この世界には「悪役令嬢」という言葉が存在しないらしい。
「なんというか、一部の界隈で使われている言葉で――まあ、マリーは覚えなくてもいいから、気にしないで」
はあ、とマリーは目をぱちぱちさせる。
「――とはいえ、このままでいいわけないですよね」
昔は、こんなことになるとは思っていなかった。
レイチェルお嬢様は上流貴族のバルド家長女として、人々から一目をおかれ、大人になれば后になり、幸せに過ごすのだと疑わなかった。
私がお嬢様にお仕えし始めた頃、この屋敷には奥様とレイチェルお嬢様が暮らしていた。旦那様は仕事で忙しくあまり家に帰ることもなかったが、その分、奥様とお嬢様は仲睦まじく過ごしていた。
奥様とお嬢様は、美しい黒髪と赤い瞳がそっくりだった。
物静かな奥様は庭園が好きで、よくお嬢様と散歩をしていた。黒髪を結い上げた姿勢のいい背中を毎日追いかけたものだ。奥様は柔らかい微笑みでお嬢様を見守って、使用人の私たちにもよくしてくれた。
とても、あたたかい日常だった。しかし、それは唐突に奪われてしまった。
奥様は冬の寒さが残る頃、幼いレイチェルお嬢様を残して亡くなってしまった。もともと体が弱い女性だった。冬の寒さに体調を崩し、そのまま春を迎えることができなかった。
これまでなかなか屋敷に帰ってこなかった旦那様も、この時ばかりは奥様の側に寄り添っていた。レイチェルお嬢様は葬儀の際も泣かぬよう気丈に努めていたが、自室に戻れば泣いてばかりいた。
最愛の母の死。それだけでもお嬢様には辛い出来事だった。それなのに、これで終わってはくれなかったのだ――。
最初のコメントを投稿しよう!