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退勤時間になり、店を出ると、俺は電話を掛けた。時間が惜しかったので、すぐにでもかけたかったが、万が一冴子に訊かれると危険なので、この時間まで待っていたのだ。
「あら、めずらしい」
電話に出た相手は楽しそうに応答してきた。
「よう、ガブ。久しぶり」
ガブとは、俺がまだ前職の仕事をしていた時からの付き合いだ。
ガブというのは、ガブ自ら付けた通称で、ガブリエルから来ているらしい。あの『受胎告知』で有名な大天使ガブリエルである。
なぜかは本人に聞いて欲しい。
「音沙汰がないから、死んじゃったかと思ったわよ」
心配そうに言うガブの言葉を、鼻先で笑ってやる。
「俺が死んだら、おまえのとこにすぐ情報が行くだろうよ」
ガブは腕利きの情報屋だ。大抵の情報は掘り出せるし、情報の方から奴に集まってくる。
「いやねぇ。ほんとに心配していたのよ。ところで、アキラちゃんは元気?」
「そっちが本命だろうよ」
ガブは可愛い女の子が大好きだ。アキラはガブの趣味にドンピシャらしく、大のお気に入りだ。
「ますます、可愛くなったでしょうねぇ」
うっとりした声で、ガブが言う。
だが、二人が会ったことはない。
どこかの防犯カメラの映像か、もしくは衛星をジャックしたか、の不鮮明なアキラの映像を入手したのだろう。そんなのでも、うっとりできるらしい。
アキラ本人には絶対に言えないが。
「調べて欲しいことがある」
話が少しも進まないので、俺は強引に話を進めた。
案の定、「せっかちねぇ」とガブに文句を言われる。
「七年前の傷害事件だ。加害者は野島紗英子。ストーカー相手をバッドで殴って、下半身不随にしている」
「怖っ」
ガブが端的に感想を言う。
「その被害者のことを知りたい。事件当時と今の状況。あと、イチイナオキという男。たぶん三十代。もしかしたらイチイナオキが、事件の被害者かもしれない」
「……」
ガブはしばらく黙っていた。情報を整理しているのかと思ったら、気が重そうにこう訊いてきた。
「ねぇ、マル。なんであんたの職場に頼まないのよ。なんだっけ、なかよしマート?高い金とリスク払って、わたしに頼まなくても、任務案件じゃない」
確かにガブに頼むと高い報酬を取られるし、こちらの情報もあちらに渡る。ガブはそれを誰かに売るかもしれない。それが奴の仕事だから、仕方がない。それが、ガブの言うリスクだ。
黙って受けとっときゃいいのに、ガブはなぜかこういうおせっかいなところがある。
「あっちが情報をくれるわけがないだろ?余計なことを知らなくていい。クラッシュしたら、始末しろって言うのが、あちらのスタンスなんだから」
俺がそう言うと、ガブは呆れたようにため息をついた。
「じゃあ、そうすればいいじゃない。それで任務完了なんでしょ?」
「……まぁ、そうなんだが……」
確かに冴子の腹の子が誰の子だとか、なんで彼女のノイズレベルが上がったかということは、別に追及しなくてもいい。クラッシュを食い止める義務もない。そもそも、そんなこと今までだって、不可能だった。
それでも……
「訳が分からないまま、殺すのは嫌なんだよ」
そう言うと、ガブは鼻を鳴らした。
「損な性格よね、あんた。いいわ、調べてみる」
ガブがそう言って電話を切ろうとしたので、俺は慌てて付け加えた。
「負けといてくれよ」
ガブのフッと笑う音がして、通話が切れた。
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